流転有情(七)

 

 これは外部に対してもそうであるが、同時に内部でもその通りで会社の幹部に向っても、ズバリ、ズバリと思ったことを言ってのける。決して媚びへつらうところがなく、裏表がない。しかし、仕事の現場では大変やさしく、上品で、神経が細かく、ある時はまことに弱々しい反面も持っているが、そのかげには実にもの凄いファイトを持っている。

 『炎上』の撮影に際して、はじめて彼は髪を切ったが、その断髪式に際しては、わざわざ千代の山、若乃花、栃錦がやって来てハサミを入れ話題をまいた。これは単なる会社の宣伝といえばそれまでだが、彼にしてみれば、もしこの『炎上』で失敗すれば、あっさり銀幕を捨てようという意気込みもあったということである。

 『日蓮と蒙古大襲来』には若き北条時宗を心憎いまでに好演し、つぎの『弁天小僧』では、巨匠伊藤大輔のメガホンで、初の女装を演じ、ふるいつきたいばかりの美しい弁天小僧が評判になっている。この撮影に際して、ある若い雑誌記者が

 「あんたも度々舞台で弁天小僧をやっているから自信があるでしょう」と水を向けた。

 これに対して雷蔵は

 「何言っているんですか。舞台ではまだ一度もそんな大役はやりませんよ。舞台で弁天小僧をやれるようだったら、何も好んで映画に来ませんよ。それにしても、映画はいいですね。浅野内匠頭なんて大役もやれますし、舞台だったらまだまだ僕なんかそんな大役はやれませんからね」といってすましていた。

 歯に布を着せない彼の一面を物語る一つの逸話である。さきの『新平家物語』と『炎上』と『弁天小僧』の三つは、彼の映画の上での三つの大きな段階といえよう。

 『新平家物語』までは、彼はなんとなく覇気というものに乏しく“ブラブラさん”という有難くないニックネームをもらっていたほどであったが『新平家物語』からは俄然人間が一変したようになった。

 『弁天小僧』は彼としてははじめて伊藤大輔の監督作品である。ここに長い間の念願がかなってわけで、しかも父寿海が舞台でやる弁天小僧を、こんどは自分が映画でやったわけ。伊藤もこの一作で雷蔵の美というものをはっきりつかみ取ろうとしている。『弁天小僧』こそは、その中のせりふでないが、雷蔵にとっても実にゆかりの深い作品であったわけだ。

 現在、雷蔵の小さいときのからの何もかも知りつくして、親代りみたいに目をかけ、雷蔵も何かというと一身上の相談をかける京都の祇園屋という化粧品屋の主人は「実のところ、雷蔵ちゃんがこれまでに伸びるとは思ってませんでした。しかし、これからが大事な時期です」