花の白虎隊

   

1954年8月25日(水)公開/1時間31分 大映京都/白黒スタンダード

企画 浅井昭三郎
監督 田坂勝彦
脚本 八尋不二
撮影 牧田行正
美術 太田誠一
照明 岩木保夫
録音 大谷 巌
音楽 渡辺浦人
スチール 杉山卯三郎
助監督 田中徳三
出演 花柳武始(池上仙吉)、勝新太郎(小林八十次郎)、阿井美千子(嫂お雪)峰幸子(百合)、小町瑠美子(おさよ)、黒川弥太郎(桐野利秋)、入江たか子(母梶女)、毛利菊枝(祖母てつ女)、伊達三郎(若党弥吉)
惹句 美しい郷土を守るために、若い命を賭して花と散った会津白虎隊士たちの、あわくはかない哀歓と、悲壮美』『母よ、妹よ、お城よさらば乙女が祈りの鐘の音も今は儚く消え果てゝ頼む見方も十六人孤城の炎と望みつゝ若き命を自ら絶ったその名は悲し白虎隊』『恋しい人よさようなら、熱い瞳に夢秘めて、散る十六のさくら花』『紅顔の瞳に夢秘めて、飯盛山に果てし十六の若き命』『桜花ちる野辺に、蛍とびかう夏の宵に、交せし愛の言葉も今はむなし、紅顔の瞳に夢秘めて、飯盛山に果てし十六の若き命』『死なばもろとも誓いも悲し、会津乙女の黒髪を、肌にしっかり抱きしめて、飯盛り山の露と消ゆ、あゝ紅顔の白虎隊

  

■ 作 品 解 説 ■

 美しい郷土を守るために未来ある一生を、恋を賭して花と散った会津白虎隊士たちの、あわくはかない哀歓と、悲壮美を、描かんとする青春時代劇。企画は浅井昭三郎、脚本は八尋不二、監督は新鋭田坂勝彦が『殴り込み孫悟空』につづいてメガホンをとり、撮影は大映京都が誇る名手牧田行正の巧緻のカメラになるもの。照明岩木保夫、録音大谷巌、音楽渡辺浦人、美術太田誠一がそれぞれ担当している。

 キャストは、十六、七才の若人を以って固めたという白虎隊が主人公だけに、主演者達もこれにふさわしい新人を集め、話題を沸かせた関西歌舞伎のホープ市川雷蔵、花柳章太郎の次男花柳武始をはじめ、O・S・Kの明眸小町瑠美子の溌剌たるデビュー。また、長唄の名門杵屋勝東治の次男勝新太郎、高倉一郎などのほか、小堀明男の長男小堀彰と次代を背負う若手スタアの大挙出演で。これを助けて、三田隆、入江たか子、阿井美千子、峰幸子、小堀誠、杉山昌三九、小川虎之助など時代劇ベテラン陣が華やかに出演し、更に黒川弥太郎も特別出演するという稀に見るフレッシュな大顔合せとなっている。

 激しい戦火の陰に咲いた会津白虎隊の若人達の美しくも悲壮なこの物語は、今も変らず我々日本人の心に住む清らかな夢で、飯盛山上に相果てた紅顔の十六士を目にした者は、人間である限り必ず熱涙にむせぶであろう感動篇。(公開当時のパンフレットより)  

■ 梗 概 ■

 時は明治元年、維新の業成らんとして錦旗は東征し、諸藩悉く王師に服したが、独り会津藩のみ旧幕府に殉ぜんとしていた。ここ会津の日新館に学ぶ白虎隊の面々は、東征総督の軍が国境に迫った今日、学業を放棄して、美しき国土と同胞を守る為に立ち上がった。事態は切迫している。教頭布施三十郎の最後の言葉は『よしや身は戦火に灼かるるとも、若人よ胸の希望を失う勿れ』であった。

 この白虎隊は十六と十七才の紅顔の美少年で編成され、彼等に対する期待は非常に大きかった。しかし多感な隊士のなかには、なぜ朝敵と呼ばれて戦わなければならないのかと、割り切れないものを持っている者もある。篠原準之助もその一人であった。彼は兄新太郎を国境の近くの戦場に送り、祖母のてつ女、母の梶女、金坊をかゝえた嫂のお雪等と家にあったが、若党の弥吉がもたらしたものは、兄が越後口の戦いで壮烈な戦死を遂げたという悲報である。準之助は自分の疑念をふりすてて、立派に家名をあげるべく、今更ながら臍を固めた。準之助には親友池上仙吉の妹、百合という許婚がある。百合は出来得るならば準之助、仙吉を戦場に送りたくなかった。そしてまさに開かれんとする戦火を前にして、楽しかった飯盛山での花見、また蛍とび交う河岸での準之助との愛の語らいを回想して独り涙ぐんでいた。

 池上仙吉は日新館の秀才である。過ぎた戦で父を伯父を失った彼は、念願のフランス行を夢見ていた。だが嵐が去るまでは妹百合の結婚とともに、これもお預けとなった。ただ、鐘楼守五平の娘おさよの心ずくしのフランス式軍服を着て我慢するばかりだった。そしておさよには、仙吉が武士であるために、どうして死地に赴かねばならないのか理解することが出来ない。

 小林八十郎は永く病床にある父九十九との二人暮しであった。彼は一徹な父によく仕えて、迫り来る死の運命に対して不敵な微笑さえ浮べて、隣の志賀春太郎が練習しているマルスに聴きほれるのだった。

 これらはみな嵐の前の静けさにすぎない。会津城攻略に難攻をつづける征東軍総督本営では板垣退助、伊地知正治、中島信行等の幕僚が凝議した結果、軍監桐野利秋の案 − 天険をたのんで防備の最も手薄な石筵口を急襲することに決定していた。

八月廿二日の夜明け−急使の伝令が鶴ケ城に着いた。二本松を占領して以来、暫らく鳴りをしずめていた敵軍が、突如石筵口に向い、保成峠、勝岩の要塞を突破して潮のように領内に侵入してきたのだ。滝沢口を死守せねば、敵は怒涛の様に城下におしよせてくる。直ちに侍屋敷に屋並ぶれが初まった。白虎隊にも出陣の回章が廻って来た。

 準之助の袖をとらえて別れを惜しむ百合、仙吉に戦のない国へ逃げてくれとせがむおさよ、父子揃っての出陣に祝いの膳に向き合う小林等々、殷々と轟きわたる砲声のなか、彼等はすべてを投げうって敢然と立った。而も早鐘が鳴れば女も子供も城に避難しなければならないのだ・・・・。

 滝沢口へ、滝沢口へ、白虎隊は松平容保を先導に、花やかな奏楽に送られて出陣した。感激のさゞめきに包まれて進軍する準之助、仙吉、小林、津川が・・・、見送る人々の中に百合がいる。おさよも人々の背後から仙吉の姿を求めている。祈るが如き視線で見守る赤ん坊を抱えたお雪。篠原家の仏間では、てつ女と梶女が準之助の武運を、城主の安泰を祈って仏前に合掌している。だが、滝沢口は敵に先んじられて突破された。白虎隊が止まって味方の退路を確保していた。死は刻一刻迫って来る。そして頼みの城にも業火がわたり・・・・・・・・。(公開当時のパンフレットより)  

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主題歌 「花の白虎隊」

(公開当時のパンフレットより)

(市販レコードより)

視聴出来ます!

野村俊夫 作詞、古賀政男 作曲、霧島昇 唄 鈴木吟亮 詩吟

島田磐也 作詞、古賀政男 作曲、霧島昇 唄 荒国誠 詩吟

一、戦雲くらく 風絶えて

孤城にさゆる 月のかげ

誰が吹く笛ぞ 音も悲し

今宵名残の 白虎隊

二、紅顔可憐の 美少年

死をもて守る この山河

滝沢口の 決戦に

降らす白刃の 白虎隊

詩吟

南望鶴城砲煙

痛哭飲涙且彷徨

宗社亡今我事嘩

十有六人屠腹僵

三、飯盛山の 秋ふかく

松籟肌に 寒むけれど

忠烈永久に 香を残す

花も会津の 白虎隊

 

一、戦雲暗く 陽は落ちて

古城に月の 影悲し

誰が吹く笛か 知らねども

今宵名残の 白虎隊

二、紅顔可憐の 少年が

死をもて守る この砦塞

滝沢村の 血の雨に

濡らす白刃の 白虎隊

詩吟

南鶴城を望めば 砲煙あがる

痛哭涙を飲んで 且つ彷徨す

宗社亡びぬ 我が事暈る

十有九士 屠腹して斃る

三、飯盛山の いただきに

秋吹く風は 寒むけれど

忠烈今も 香に残す

花も会津の 白虎隊

 

★ 証 言 ★

 市川雷蔵丈は七、八の休演を利用して映画に出演することになり、大映京都撮影所で、田坂勝彦監督のもとに「花の白虎隊」を製作中であるが、激しい戦火の蔭に咲いた会津白虎隊の若人たちの美しくも悲壮な物語だけに丈にはうってつけのもであろう。ほかにOSKの小町瑠美子、新派の花柳章太郎の御曹子武始も参加している。八月第四週封切の予定であるが、一日雷蔵丈を祇園下河原平田旅館に訪えば大いに語る。

 一年ぐらい前から映画に出たいと思っていましたところ、大映、東映、日活から次々に話が出ましたが、結局大映を選びました。近親の者は「舞台がまだ一人前じゃないのに映画になんか出るな」とか「わるいクセがついたら困る」などと反対されましたが、逆にこっちが皆を口説いて映画出演が実現したというわけです。はじめてセットを見た時、何だか倉庫の中で芝居をしているような感じで舞台にくらべるとあまりいいとこじゃないなアと思いました。

 舞台とちがって映画は自分の姿を自分で見ることが出来るし、それを見て欠点も直せる楽しみがあり、こん後とも舞台が主になりますが、時々いいものをとりたいと考えています。映画と舞台の二刀流です。

 撮影所へ来てからは長谷川一夫さんに何かと指導していただき、監督の田坂 先生のご指示によって『花の白虎隊』の完成へ邁進しています。映画の方では鶴之助、扇雀という二人の先輩もおりますし、むかし嵐鯉昇時代一緒に勉強芝居の「つくし会」をつくった北上弥太朗君がいてくれて何かと激励してくれるのは有がたいことです。扇雀、弥太朗両君がこの間撮影所に来て三人で話し合いましたが、うれしい一時でした。

 この『花の白虎隊』は八月上旬出来上がる予定で、大体八月第四週が封切りと聞いています。八月も休んで、こんどは同じ大映で天然色映画『千姫』に出ます。

 朝七時頃に宿を出てロケか、セットに猛暑を克服しつつ一日忙しく、夜おそく宿へ帰るのでこのところちょっとフラフラです。忙しいことは困りませんが、いろいろな点で芝居と勝手のちがうことに早く慣れたい思っています。(『寿海』第7号 54年8月1日より)

 『花の白虎隊』にも同じこと(シナリオの悪さ、演出の拙さ等)がいえる。第一、今頃”白虎隊”を企画するのがおかしい。そのシナリオも決してよいものではない。雷蔵自身としては好演ではあったが、あの映画で、関西歌舞伎のホープ市川雷蔵これにありと、いうことには少しもなっていない。演出の田坂勝彦は具隆の弟で新人監督ときいている。ソツはないが一向に新鮮味はない。

 ただ初出演の雷蔵(篠原準之助役)をみていると、まわりの映画人と大して異質を感ぜしめない。逆にいえば、歌舞伎的なものをそれほど強く身につけていないのかも知れない。それだけに次作の『千姫』の秀頼役では、大映としても大作だけに総てにわたって慎重にかまえるだろうから、雷蔵ももっとしでかすのではないかと、期待がもたれる。(権藤芳一 「幕間」 54年10月号)

“さて第一作『花の白虎隊』であるが、この素材が取り上げられたのは、もう一人の新人、長唄の世界から転身した勝新太郎も同時に登場させるためであった。若い世代の俳優たちを集め、その中には花柳章太郎の息子武始もいる。

 それにしても白虎隊という素材は、古めかしい。新人たちのデビュー作品としては、時代逆行であるが、大映の体質は、そこに何の疑問も持たなかった。天下は泰平であったわけだ。作品の出来は、可もなく不可もなく「キネマ旬報」は紹介するにとどめ、批評は省略した。決して、はなばなしく、ショッキングな登場ではなかった。”(辻久一 『侍・市川雷蔵その人と芸』より)

 1954年6月大映と本数契約を結ぶ。 その映画デビュー第一作。この映画で雷蔵他、花柳武志(新派の花柳章太郎次男)・小町瑠美子(OSK出身)・勝新太郎(長唄の杵屋勝東治次男)・高倉一郎(歌舞伎の市川門三郎門下)・小堀彰(小堀明男の長男)もデビューした。宣伝パンフレットには “最近日本映画各社間に於て、次代を担う新人発見育成が活発化して来ているが、就中時代劇の新人は特別な条件を必要とするため現代劇に比して困難視されていた。こうしたなかで、時代劇を本領とする大映京都では、歌舞伎その他の芸能界から有望な新人を物色し『花の白虎隊』で次の人々を銀幕に送ることとした。”とある。

 美しい郷土を守るために未来ある一生を、恋を賭して花と散った会津白虎隊たちのあわくはかない哀歓と悲壮美を描かんとする青春時代劇。

 二条城で友達同士が喧嘩をしているのを止めに入る場面が初のクランイン。雷蔵にとっても思い出深い作品であろう。

市川雷蔵を激励する扇雀と北上弥太郎

 

(「明星」54年10月号より)

(写真は、『花の白虎隊』の白虎隊士篠原準之助役の扮装のまま休憩中の市川雷蔵と大映京都撮影所の庭園で、語り合う、中村扇雀と北上弥太郎。) 

 

 扇雀、鶴之助、延二郎と共に、関西歌舞伎の花形として、関西の舞台で活躍している、市川雷蔵も、かねてよりの念願叶って、今回大映と契約成立して、その第一回出演映画は、大映の青春時代劇『花の白虎隊』と決って、新人群に加って出演中です。

 ある日、八月の東京歌舞伎座出演のため上京する中村扇雀が、寸暇をさいて親友市川雷蔵をげき励するため、松竹の北上弥太郎を誘って、大映京都撮影所を訪問し、折からセット撮影中の、市川雷蔵の映画初出演振りを熱心に見学して、三人の親友同志は、様々映画出演の意見を語り合って、扇雀は歌舞伎座出演、雷蔵は映画出演のため、西と東に一カ月の別れを告げて辞去しました。(「映画ファン」54年10月号より)

 今度この映画を描くに当っては前途有為の少年たちが、会津戦争の花と散った事件をクライマックスに、悲壮美をテーマとして、十代の清純な魂を描いて行きたいと思っている。

 飯盛山で自決した白虎隊士の数については、従来十六人説と十九人説とあるが、今回会津へロケハンに行って聞いた話にこんなこともあった。白虎隊ただ一人の生残りが昭和初年ごろまで存命していたが、この人は生前白虎隊の最期については、全然黙して語らなかった。ただ一度だけ、ある中学校の先生に、十六人だったか十九人だったかだけを教えてくれといわれて、初めて口を開いたことによると、飯盛山のふもとまでたどりついたのが、山頂へ登りつくまでに三人死に、山の上で自決したのが十七人で、その中の一人だけが生き残ったという話である。

 今度の映画でもこの十六人説をとっているが、この白虎隊士中二番隊四十余名の構成は市川雷蔵、花柳武始、勝新太郎、高倉一郎らの新人たちに、俳優部の新進十一人、残りは高校生となっている。この映画は作品の性質上、少数特定の主演者だけでやるというものでなく、集団演技を必要とするものだが、普通ならさきに挙げた名門の御曹子たちは、一応スター扱いで奉られるところを、今度に限って、そういったことはなく、俳優部の青年たちや、高校生たちともみな対等に話している。そこに白虎隊の団結にも似たチーム・ワークが自ずから生れて来て、みな和気アイアイとしたふんいきで動いているのも微笑ましい情景である。(デイリー スポーツ08/05/54)

 大映作品『花の白虎隊』(監督田坂勝彦、主演市川雷蔵、花柳武始、三田隆、阿井美千子、峰幸子)は、幕末、会津藩と運命をともにした白虎隊の物語を扱ったもので、二十五日から封切られる。

 ところでこの主演を勤める雷蔵は市川寿海の養子、武始は章太郎の次男と新旧派の若手俳優だ。そこで花柳章太郎、花柳喜章の両氏に武始の父兄である立場から、若手俳優の演技を中心に検討を乞うた。


章太郎 武始をはじめ若い人は、感情にのりすぎてしまって肝心のセリフがはっきりしないことが多かったね。語尾が濁ってしまっている。

喜章 いわゆる性典映画と違って、若い人の恋を扱ってもイヤらしさがないと思いましたね。

章太郎 私はこの題が好きだな。『花の白虎隊』の方が、『ああ白虎隊』にするよりずっとよい。

喜章 ひたむきなところが出ている映画だけに、気持がよかった。

章太郎 しかし見ていると、若い人の動きはうまくないな。もっと スムーズに行かないものかしら、ギクシャクしていけないよ。そこへ行くと、日新館の教頭になった三田隆なんぞはうまいな。ガラが立派なのと、品がいいのも手伝っているが、非常に映画的な動きがラクなようだ。

喜章 三田さんは時代劇にむいていますね。

章太郎 独歩のお孫さんだそうだが、それで品がいいのかな?私の好きなタイプだよ。芝居していても底を割らない程度にうまく演じている。真面目にやっていれば、どんどん進歩する人だと思うな。

喜章 手傷を負った隊士が、飯盛山に登るシーンはよかった。

章太郎 私は殿様がしばらく考えたあとで、白虎隊に「生命をくれ」というだろう、あの場面で泣いた。

喜章 映画全体としては物語をモテあました格好ですね。

章太郎 そうなんだ。白虎隊の全貌を伝たえるなら、もっと会津藩伝統の思想とか風習を入れて、白虎隊が存在した理由をもっと浮び上がらせなければいけない。かえって、池上(武始)や篠原(雷蔵)と池上の妹(峰幸子)の恋愛を中心に小さくまとまった話にした方が、効果的だったろうね。

喜章 二人の女が生命をかけて鐘をつくわけなんだが、ちっとも迫力がなかったですね。

章太郎 同感だな。使いきれてないんだ。もっとドラマティックに使ってもらいたいところだった。 (08/24/54 日スポ・東京版)  

◆ 『花の白虎隊』の勝と雷蔵 ◆

 四十年もシナリオを書いていれば、その数は莫大なものになる。最近こそ年に四本か、五本に減ったが、昔は月に一本は必ず書いたし、サイレンと時代は、月に六、七本も書いたことはザラにあった。そんな風だから、僕のシナリオでデビューした人、或いはそれが遺作になった監督やスターや、キャメラ・マンも相当の数に上っている。

 そこで今回は比較的新しい、今第一線で活躍しているスターで、僕のシナリオが第一回の主演作品であった人々について書いてみたい。勝新太郎、市川雷蔵、大川橋蔵、山本富士子、嵯峨三智子、以上の五人だけを採り上げることにする。丁度、手許にその時のシナリオが揃ったので、最初の人物紹介のくだりを抜粋しながら書いていくことにしよう。

 五人のうち、勝と雷蔵は期せずして『花の白虎隊』(昭和29年)で共演の形でスタートした。いま二人の出演場面を、後年の彼等と思い合わして読んでみると、なかなかに興味がある。先ず冒頭、完全に孤立し戦火漸く迫らんとする会津の情勢を示し、白虎隊の学問の場、日新館における最後の授業と隊士たちの紹介があってから。−

篠原 準之助 市川 雷蔵/小林八十次郎 勝 新太郎

準之助の部屋

百合、花瓶を置き、花の形をなおし、壁にかけた準之助の衣類道具などを懐しげに見廻している。

同・座敷縁側

準之助、帰って来て手をつかえ、
「母上、只今。おばあ様、只今帰りました」
と挨拶して、お雪に寄って来て、赤ン坊の頬を突つきながら、
「おねえさん只今、金坊只今」
梶「準之助、百合さんが見えていますよ」
「え(赤くなる)」
梶「お前の部屋です」
お雪「お花を持っていらしたのよ。お見事よ、行ってごらん遊ばせ」
「そうですか」

準之助の部屋

百合が机にもたれ、ざれ書きをしている。篠原準之助と書いてきてその下に妻と書き足す。我知らず熱い頬を押さえた時、準之助が入って来る。

「今日は。何をしています?」
「あら!」
慌ててくしゃくしゃと丸めて、
「お帰り遊ばせ」
と行儀正しく両手を突いて挨拶。
「いま、何書いていた」
「いえ、何にも」
「見たいな、一寸見せて」
「あら、いやでございます」
と背後へ隠す。
てつの声「準之助、準之助!」

同・仏間

てつ「お母さん、準之助の部屋は・・・チト永過ぎます」
梶「はい(立ちかける)」
てつ「二人は大事な時です。遅くなりましたから、姥に送らせなさい」
梶「畏まりました」

と姥に目まぜ、おまさ出て行く。お雪は黙々と赤ン坊を寝かす。おまさと共に、準之助、百合出て来て、百合は淑やかに手をついて、

「本日はありがとうございました。失礼します」
梶「さようなら、では又」

百合、準之助に目礼、姥に送られ出て行く。

日新館教室

暗くなりかけた室内に、フランス製の地球儀を指先でぐるぐる廻しながら、池上が放心したように跼っている。

「池上!池上!」
小林が呼んでいる声、池上気がつかない。
「池上!」
と、小林、入って来て、
「何だ、やっぱり此処に居たのか」
「小林か」
「小林じゃないよ。あんな大きな声で呼んでいたのに(と汗を拭く)」
「そうか、呼んでいたのか(ボンヤリと、また指先で地球儀を突つく)」
「(覗き込んで)マルセーユ、パリス、お前のフランス行きも、どうやら夢になったようだな」
「ふン(淋しく笑って、グルリと地球儀を廻す、日本になる)日本か・・・」
「小さいな日本は・・・もう少し大きくしといてくれたらいいのにな」
「(微笑する)ばか」
「この狭い日本の中で戦争してるんだな、俺達は・・・おい、会津は何処なんだ?」
「会津なんか書いてないぜ」
「そうか、怪しからんな。今や日本中の兵隊を相手にして闘っている我が会津をのせてないとは何事だ」
「(立上る)行こうか」
「うん、行こう。おさよが待っているぞ」
「ばか」
「もう軍服が出来る頃だろう。フランスへ行けなくなったんだから、せめてフランス式の軍服でも着て我慢するさ」
と池上の肩を抱えて出て行く。

 −僕は当時、雷蔵も勝も知っていた訳ではない。それだのに、いま読み返してみると、雷蔵も勝も、後年の彼等の性格というか、作風というか、期せずして、二人の役どころがチャンとはまっているから不思議ではないか。なお、この中の池上という懐疑派の青年の役は花柳武始で、彼も映画は初出演で、三人の競演だったのだが、花柳は新派へ帰った。(八尋不二 「百八人の侍-時代劇と45年-」65年7月30日朝日新聞社刊より)

 

鶴ケ城 

 鳥羽伏見の戦いの後、会津藩は軍制をフランス式とし、玄武隊・青龍隊・朱雀隊・白虎隊の4隊を編成した。白虎隊は、日新館で学んでいた16〜17歳の少年達で編成され、主に城中の警護にあたっていた。戊辰戦争が始まり、戦場が会津に移り、1868年8月22日には、藩主松平容保は白虎隊に出陣命令を下した。日新館は閉鎖され、臨時病院とされた。戸ノ口の戦いで敗れた白虎隊士中二番隊は、炎に包まれた鶴ケ城を眺めながら飯盛山で壮烈な最期を遂げのだった。

 白虎隊士や会津兵の遺品、「荒城の月」の作者土井晩翠、滝廉太郎および徳富蘇峰の史料などを展示。        

      料金……………大人 400円、高校生 300円、小中学生 200

      開館時間(休日)…8:0017:00 ※12-3月は8:3016:30(無休)

      所在地…………会津若松市一箕町大字八幡字弁天下93

                     交通……………JR磐越西線会津若松駅 からバス15分飯盛山下車さらに徒歩5分  磐越自動車道会津若松IC

      問い合わせ先…白虎隊記念館 TEL (0242)24-9170/FAX (0242)24-9030  

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