1956年12月28日(金)公開/1時間5分大映京都/白黒スタンダード

併映:「君を愛す」(田中重雄/根上淳・若尾文子)

製作 武田一義
企画 山崎昭郎
監督 三隅研次
原作 川口松太郎
脚本 松村正温
撮影 相坂操一
美術 菊地修平
照明 伊藤貞一
録音 大谷巌
音楽 小杉太一郎
スチール 小杉輝夫
出演 近藤美恵子(露路)、三田登喜子(千草)、角梨枝子(お浪)、千葉登四男(菊地左次馬)、藤間大輔(仙太)、夏目俊二(秋田伊織)、細川俊夫(小那典膳)、橘公子(おしん)、伊達三郎(湯浅伝蔵)、真風圭子(角兵ヱ獅子の姉)、荒木忍(神道十兵ヱ)、葛木香一(神道五志左門)、南部彰三(赤松文太夫)、上田寛(勘蔵/道中師)、南条新太郎(山室角之助)、水原浩一(城介)、種井信子(おとめ)
惹句 『初恋のいのちを賭けたその人は、父を殺した剣鬼だった』『追うは恋の鉄火芸者、妖魔の剣豪迫るは復讐の美女、恋と剣戟の痛快時代劇』『斬るか斬られるか、女心を捧げつくした青年剣士こそ、求めた父の仇』『笠に惚れたか、心に惚れたか、水もしたたるよい男美男雷蔵の剣と恋』『魔の剣法を伝授する青年剣士に、仇とは知らぬ女心』『仇と知らで慕い、討たれると知らで秘剣を教える恩讐こえる恋の火花

★ かいせつ ★

 雷蔵初の正月映画主演作/原作は第二回東宝歌舞伎において、長谷川一夫、中村扇雀がミュージカル形式で演じた川口松太郎の戯曲。三隅研次が清冽なタッチで描く剣戟時代劇!かげろうの太刀を見事に使う編笠の美剣士・権八に雷蔵。仇とは知らず権八に恋をする乙女に近藤美恵子。討つ者と討たれる者との悲恋の物語。三田登喜子、角梨枝子ら女優陣が華を添える。

 ふとした因縁から岡山藩池田家の指南役を斬った権八郎は、仇討ちの旅の途中だという露路に出会う。しかし、その仇こそ権八郎本人であった。そうとは知らず、秘剣の技を教わるうちに恋心が芽生え始めるが・・・。

 川口松太郎が長谷川一夫の東宝歌舞伎出演のため書きおろした舞台脚本を映画化するもので、長谷川一夫につぐ大映の花形時代劇スタア市川雷蔵の昭和三十二年度第一回主演映画になります。

 仇を討つ身と、討たれる身が、恋に結ばれる宿命の物語のうちに、愛情の純粋な美しさと強さを描くものです。剣と恋が火花する雷蔵の胸のすくような痛快時代劇です。(56年12月1日発行「大映」NO.7より)

 

 第二回東宝歌舞伎において長谷川一夫、中村扇雀がミュージカル形式で演じた川口松太郎の原作になる舞台劇を、映画化したものである。

 物語は、仇とは知らず恋い慕い、討たれる身とは露知らず、かげろうの秘剣を伝授する恩讐をこえる恋の波紋−仇を討つ身と討たれる身が、最後后は恋に結ばれるというまことに皮肉な運命に立つ浪人と武家娘の愛情を描いている。

 監督には『浅太郎鴉』で新しいタッチを試みて好評を博した俊才三隅研次が当り、かげろうの太刀を使う編笠の美剣士に市川雷蔵、またこのところ時代劇に新鮮な味をみせ、『あばれ鳶』で好演の近藤美恵子が再び雷蔵とのコンビで武家娘露路を演じており、ほかに三田登喜子、角梨枝子、夏目俊二、千葉登四男、藤間大輔、真風圭子等、大映の青春スター総出演で豪華な娯楽時代劇を形づくっている。(公開当時のプレスシートより)

 

★ ものがたり ★

 青年剣士志賀原権八郎は、仕官を好まずただ剣の修行のみに生きてゆく男。ふとした因縁から図らずも岡山藩池田家の指南役神道十兵衛を斬ってしまい、池田家から仇と狙われてしまう。権八郎は、若党城介とその妹お浪が止めるのを聞かず上方への旅に出るが、その頃池田家のお国表では、十兵衛の遺児千草、露路の姉妹は殿の御許しを得て権八郎を討つべく江戸への旅に出ていた。また、池田家の藩士菊池、秋田、山室、湯浅等は自分たちの理不尽が師十兵衛を死に至らしめた事は棚にあげ、己が遺恨のみをはらすべく仇討の美名のかげに権八郎を討つべく後を追っていた。そしてまた先に権八郎の剣の為に不覚をとっていた剣士小郡典膳もその一党の仲に入っていた。

 東海道を東から西へ−それを追う池田家の藩士達、東海道を西から東へ-千草、露路の姉妹。追う身と追われる身の人たちは夫々の想いを胸に東海道を歩いてゆく。権八郎に制せられて江戸に取り残されていた城介、お浪の兄妹もやがて権八郎に追いついて助勢を申し出る。こうして夫々の一行は琵琶湖近く彦根の街に近づいてきた。

 その頃、馴れぬ女の長旅に露路は足を痛め、山の湯の旅籠で足を休ませる事になった。明日は彦根で菊池達一行と出会う約束だという日、姉の千草は露路一人を置き供の平八を連れて旅立った後、露路は道中師の仙太、勘蔵の二人にいたづらされ困惑した所を一人の若い武士が助けてくれた。その男こそ権八郎。露路は危いところを権八郎に助けられたが、そのりりしい彼の姿に娘心はひきつけられた。彼が仇と狙う男であるとは知らず・・・。

 翌日、この旅籠の中庭で踊っていた角兵衛獅子の姉妹に金を与え、その笛を借りて吹きならす権八郎のやさしみに、露路の心は権八郎への想いをつのらしていった。その夜、自分の部屋に、昨夜の礼と称して権八郎を招き入れた露路は、仇を討たねばならぬ身の境遇を権八郎にあかした。次の日から皮肉にも権八郎は露路に剣の修行を教えるようになるが、権八郎の胸にも露路への愛が芽生えてかかってゆく。互いが名も知らず厳しい中にも楽しい剣の教えはたった二ヶ月間だけしかなかった。千草と落合った菊池達がこの宿に着き露路も共に行かねばならなくなったからだ。別れの挨拶に権八郎の部屋を訪れた露路の口から仇の名をきいた時の権八郎の驚き−。権八郎は悄然とうなだれて露路の手をとりながら云った。

 「露路どの、仇の名をもっと早くききたかった。知れば教えようがあったのだ」と。心を残して去る露路の後姿を見送って権八郎は一瞬目を閉じて物思いに耽った。

 翌朝、千草、露路の姉妹は菊池一行と共に権八郎が京都へ行くとの情報をもとに東海道を上っていった。権八郎は、身の宿命に驚き幾重にも嘆いたが、意を決し、露路たちの後を追ってゆく。千草たちが、大津に着いた時、かねて露路に想いを寄せていた菊池が、露路に云い寄ったが、逃れるべく構えた懐剣の手の内を典膳に見とがめられ、その手こそ仇権八郎の秘太刀「かげろうの太刀」といわれ、山の湯の旅籠で教えてくれた武士こそ権八郎と知り、露路の心は千々に乱れた。折しも、その露路の耳に聞えているいつかの獅子舞の笛の音。彼女はひかれるようにその方へ歩を運んでいった。

 湖畔の松原に、権八郎は編笠を深くかぶって笛を吹いていた。露路は走り寄る。「貴方様のお名前は?」「志賀原権八郎」と答える彼の声に露路はよよと泣き崩れた。そこへ、千草を先頭に走ってきた一行。権八郎は云った。「ゆくさきは、東山の法泉院。必ずたずねてこい、そなたの外にこの権八郎を討つものはないのだ」と。露路にこう云いすてて権八郎は湖畔沿いに去って行った−(公開当時のプレスシートより)

 

           

編笠権八             戸田 隆雄

 正月二本立用六千呎という制約にムリがある。そのため、人物の性格を現わす言動や、その行為を規定する環境の描写が犠牲にされている。例えば、主人公権八が、どういう経歴の、どういう思想の持ち主で、誤って犯した殺人や、仇討制度の倫理について、どんな考え方をしているのか、全然不明なのである。

 だが、そういう説明不足を余儀なくされているにも拘らず、三隅監督は生真面目に、登場人物の個性を描き分けに苦心を払っているようだ。一例を挙げれば、権八に殺された師の遺児姉妹の助太刀に参加する門弟四人の思惑が各人各様に描いてあるのである。権八も、女主人公である妹娘露路に邂逅すると、トタンに性格が明らかになり、それ迄の幾分デカタンな傾向が、単純な恋愛至上主義に変る。

 要するに、作者の焦点は主人公二人の恋愛に絞られ、例えば、二人が剣術の荒稽古をする場面にすらラブシーンの伴奏音楽がつけられている。かくて死をも恐れぬ恋愛が周囲の心を動かし、ハッピーエンドとなるのであるが、もとより、かかる討つ者と討たれる者の恋愛を通俗的に扱った物語はお定りのコースを辿るほかなく、従って、入念な説明は、くどい感じを伴なうばかりだから、この映画のような省略は、かえってスッキリとした調子をかもしだしている。興行価値:雷蔵扮する美剣士の恋と剣の物語とはいえ、時代劇らしいハツラツさに欠けるのは欠点。但し、若手俳優の出演だけに清新さはある。添物の域を出ない。(キネマ旬報より)

     

  (左:48年北光書房刊 右:56年桃源社刊)

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