朱雀門

1957年3月20日(水)公開/1時間40分大映京都/カラースタンダード

併映:「信号は赤だ」(渡辺実/勝新太郎・春風すみれ)

制作 永田雅一
企画 辻久一
監督 森一生
原作 川口松太郎(朝日新聞連載「皇女和の宮」より)
脚本 八尋不二
撮影 宮川一夫
美術 西岡善信
照明 中岡源権
録音 大角正夫
音楽 斎藤一郎
助監督 井上昭
スチール 藤岡輝夫
装飾考証 高津利治
出演 若尾文子(和宮/親子内親王)、山本富士子(夕秀/和の宮の侍女)、夏目俊二(孝明天皇)、三宅邦子(経子/和の宮の母)、舟木洋一(十四代将軍徳川家茂)、東野英治郎(熊の倉友房)、小沢栄(岩倉具視)、柳栄二郎(竜安/夕秀の実父)、滝花久子(天璋院/十三代将軍未亡人)、万代峰子(おふじ/和の宮の乳人)、十朱久雄(関白九条尚忠)、細川俊夫(十五代将軍徳川慶喜)、三島雅夫(所司代酒井忠義)、橘公子(帥の宮の乳母)、毛利菊枝(本寿院/十三代将軍の母)、松浦築枝(実成院/家茂の実母)、荒木忍(老中久世広周)
受賞 東南アジア映画祭作品賞・撮影技術賞、東南アジア映画祭ゴールデン・ハーベスト賞(市川雷蔵)、毎日映画コンクール色彩技術賞
惹句 『夢のような恋 焔のようなはげしい恋 動乱の時代を背景に全篇ラブ・シーンで綴る絢爛の悲恋メロドラマ』 『高貴の若宮をめぐる佳人二人純愛の瞳をぬらす和宮燃える乳房を哀しく抱く情熱の夕秀朱雀門の奥ふかく繰りひろげられる華麗哀切の悲恋絵巻

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 川口松太郎の原作「皇女和の宮」(朝日新聞連載)の映画化

[解 説]

 孝明天皇の妹君和の宮が十四代将軍家茂の夫人として降嫁された事実は、幕末の政治史に大きな事件として記録されていますが、原作は勿論、映画もまた必ずしも史実に依ったものではなく、劇的な潤色が全篇にわたって施されています。

 この映画の表面には出ませんが、まず物語以前において、一人の美女千草を争う友房と竜安の二人の男性がおり、千草の死後も、その面影を慕って生涯独身を貫く男の純情があり、さらにこの千草の娘夕秀と和の宮の二人が、今度は帥の宮ただ一人を慕い続けるという、二代にわたる運命の恋が大きなテーマになっています。

 このように時代劇には珍しい恋愛劇であり、風雲急な幕末時代を背景として、華麗な抒情詩が描かれている作品です。(公開当時のプレス・シートより)

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 「映画ファン」57年4月号

抱き合ったままマル一日

 大映カラー作品『朱雀門』は、市川雷蔵さん扮する有栖川の若宮に、若尾文子さんの和の宮と山本富士子さんの侍女夕秀の二人の美女が恋して悲恋絵巻を展開するのですが、その数あるラブ・シーンの一つ泉涌寺御所のセットは最も力の入った撮影でした。

 これは、夕秀が「女の心は誰でもこのように燃えているのです」と、若宮の手を持って自分の胸に当てさせるという激しい情熱的な場面で、何しろバックは緑の草、雷蔵さんの衣裳が水色、山本さんのが赤と白といった美しい色の配合。しかもピッタリ息の合った二人の名演技に、並みいるスタッフも思わずウットリするくらいでした。

 ところが、山本さんと雷蔵さんは、朝から夜までこのセットでほとんど抱き合ったままの同じ姿勢で撮影をつづけたものですから、足がすっかりシビれてしまい、ことに雷蔵さんの方は、山本さんに両手を強く握られどおしだったので、手が真っ赤になってしまうという有様。そこで雷蔵さん、その手を山本さんに見せながら、

 「苦痛の伴うラブ・シーンなんて生まれて初めてですよ」とこぼすと、山本さん、ちょっと気の毒そうな顔しましたが、すぐ笑って「でも、だいたい恋というものは、楽しいというより、本当は苦しいものなのよ」と、ひとかどの恋愛経験者のような口ぶりでした。しかし、このセットでは二枚目の宮様を演っている雷蔵さんも『大阪物語』の方ではケチンボ商人にこき使われる役、あんまりゼイタクはいえません。(月刊明星57年4月号より)

 “ご立派デス”

 『夜の河』では、爛熟したオ年増女性を見事に演じた山本富士子。今度の『朱雀門』では、なんと十七才の夕秀なるオトメ。同じく『浮舟』でも、番茶も出花の浮舟なるショ女に扮しとる。

 まことに初々しい夕秀に感嘆これ久しゅうしたスタッフ。

 「女は化物というが、ほんまやなァ。いやご立派でありまするョ」

 一同のオホメの言葉?を全然気にしたお富士さん。鏡に映るオノガ姿をためつながめつ、逢う人毎に

 「ねェ、ちっともオカしくないでしょ。ねェ、十七才になったっていいわねェ、老けてないでしょ」

 と、いまや、サバ読みノイローゼの由。カワイソウニナァー。(時代映画57年4月号 スタジオ万華鏡より)

[物 語]

 生まれながらにして父孝仁帝を知らぬ和の宮と、母を知らぬ侍女夕秀とは、夕秀の父の陰陽師、熊の倉友房の占いによって、出生後間もない頃から同じ桂の御所で起居を共にし、十八の春を迎えた。

 孝明天皇が皇女和の宮の婚約者に選ばれた有栖川宮熾仁親王は、将来を嘱望される貴公子で、既に数年来書道の師として宮と親しんでおり、宮は勿論、夕秀もまたひそかな思いをよせていた。当時の宮家は慣習に従って、宮は御息所(正妻)、夕秀は家女房(側室)として共に帥の宮に嫁ぐ日を夢みていた。

 その頃幕府では当面の難局を切り抜けるため、公武合体を画策し、そのくさびとして和の宮を将軍家茂の御台所に迎えようと企んだ。天皇は苦悶の末、降嫁を勅許されたが、これを知った夕秀は、帥の宮に和の宮と京を逃げることをすすめる。しかし逃亡の夜、和の宮は夕秀とともに所司代の手の者に抑えられてしまった。焦燥の一夜を明かした帥の宮は、宇治川べりをあてどもなく歩く内、雲水の僧竜安に導かれ霧の中へ消えて行く。「私は力が欲しい。無力だからこそ妻を将軍に奪われるのだ」

 娘として友房に引き取られた夕秀は、ある日竜安に帥の宮の隠れ家へと導かれた。同じ屋根の下に起居する内、遂にある夜二人は結ばれる。この噂は和の宮に強い衝撃を与え、幕府と和の宮との板ばさみとなって苦しむ天皇を思い悲壮な決意をするのだった。生きた屍として家茂の妻となった和の宮は、冷たい江戸城内で前将軍の未亡人に苛まれたが、夫の家茂が好人物なのがせめてもの慰めだった。

 そして六年。この間に家茂は世を去り、鳥羽伏見の一戦に幕府軍は大敗し、東征軍は錦旗をひるがえして江戸へ進撃した。この東征大総督こそ、奇しくもかっての帥の宮その人だった。

 上野の戦が官軍の勝利を以って終結を告げようとする頃、江戸郊外の仮寓で、臨終の床にあった和の宮は、竜安の知らせによって夕秀と駆けつけて来た帥の宮の姿に歓喜の目を輝かした。二人は今こそ誰憚らぬ二人だけの法悦に浸ることが出来たのだ-。(公開当時のプレス・シートより)

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川口松太郎の作「皇女和の宮」は朝日新聞に連載され、その後単行本化された。

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