月形半平太

1956年10月17日(水)公開/1時間48分大映京都/カラースタンダード

製作 永田雅一
企画 浅井昭三郎
監督 衣笠貞之助
原作 行友李風
脚本 衣笠貞之助・犬塚稔
撮影 杉山公平・牧田行正
美術 西岡善信
照明 岡本健一
録音 大角正夫
音楽 斎藤一郎
助監督 西沢利治
スチール 小牧照
時代考証 吉川観方
衣裳考証 上野芳生
剣道指導 大野熊雄
出演 長谷川一夫(月形半平太)、山本富士子(梅松)、勝新太郎(宇津木周作)、菅原謙二(勝股新兵衛)、京マチ子(萩乃)、林成年(間宮哲之介)、中村玉緒(歌菊)、小野道子(ゆり)、三田登喜子(富菊)、矢島ひろ子(美津代)、小暮実千代(染八)、三益愛子(あい)、川口浩(跡部三吉)、夏目俊二(岡田新平)、八潮悠子(文葉)、高松英郎(赤松大次郎)、黒川弥太郎(岡崎幸蔵)、大河内伝次郎(間宮玄斎)、千田是也(姉小路公知)、山形勲(藤岡九十郎)、石黒達也(山脇主馬)、田崎潤(奥平文之進)、山村聡(桂小五郎)
惹句 『大映の壮挙空前の豪華配役で描く恋と剣の総天然色巨篇』『大映東西二十五大スターが激しく争う恋と剣の総天然色巨篇

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山根貞夫のお楽しみゼミナール

  『月形半平太』は、衣笠貞之助監督にとっては二度目の作品である。

 この映画の原作は、行友李風が沢田正二郎の率いる新国劇のために書いた戯曲で、1919年に初演され、以後、沢田正二郎の当り芝居になった。そして1926年、衣笠貞之助監督で映画化されたのである。月形半平太はもちろん沢田正二郎であった。

 有名な“月さま、雨が・・・”という台詞も新国劇の舞台で生まれ、この映画では“あら雨が・・・”“かまわぬ、濡れていこう”と、いかにも現代風になっている。京都がドラマの舞台で、京芸者や舞妓が登場するのに、京都弁がほとんど出てこず、全員が標準語を話すことと同様の思いきった現代化が狙われているのである。

 ・・・大映東西二十五大スターが激しく争う恋と剣の総天然色巨篇!

 これはこの映画の惹句で、オールスターという点とともに、カラーであることが強調されている。じっさいこの当時、大映のカラーは他社を抜いていた。永田雅一社長が碧川道夫らをカラー・コンサルタントに、色彩技術に資金を注ぎ込んだのである。大映のカラー第一作『地獄門』(1953)がカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞したことに、その成果は証明されていよう。

 『月形半平太』も、その『地獄門』と同じ衣笠貞之助監督・杉山公平撮影・長谷川一夫主演による“総天然色”が強調されて当然である。

 照明・岡本健一、美術・西岡善信の名も見落とせない。たとえば長谷川一夫が三条河原で闇討ちにあうシーンを見よう。太い橋桁のセットの重厚さといい、闇のなかでも諸人物の顔がちゃんと見極められ、刀がキラリと光ることといい、時代劇づくりのみごとさに感嘆せずにいられない。

 そうしたスタッフの力が一つに結集して、幕末オペラとでもいうべき群像劇が華やかにくりひろげられてゆく。この映画はその意味では、大映京都撮影所の力量を存分に示している。

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花の巻・嵐の巻 一挙上映

 月形半平太といえば月さま雨が・・・・・の名セリフであまりにも有名な時代劇の極め付。今は亡き沢田正二郎のために、行友李風が書き下したこの芝居は、新国劇の当り狂言として一世を風靡、幾たびとなく映画化されてきたが、今回は大映が年に一度の時代劇大作と銘うち、東西オールスターの大顔合せ。定評ある大映カラーにより、装いもあらたに登場する。

 尊王か佐幕か、攘夷か開港か、幕末の京都は不気味な殺気をはらみ、全国各地から集った浪士たちは、入り乱れて互いに反対派を殺し合う維新前夜。勤皇派ではあったが、独り開国論を唱え、先覚者としての持論を固守し、同志からも異端視され、裏切者として絶えず命を狙われる月形半平太 − かくて、今宵また加茂の流れを朱に染めて、三条河原に降るは血の雨、東山三十六峰剣戟のひびきという次第。血なまぐさい時代の波瀾のうちに正義を行う者の悲劇が、ヒロイックな哀感をこめて展開される。

 月形に扮するのはこの種の役柄には打ってつけの長谷川一夫、一方色模様は、てんめんたる祇園情緒に織交ぜて多種多様。わけても月形を慕う祇園の芸者梅松を、近頃進境いちじるしい山本富士子が演ずる。その美貌からいって、ピッタリの役どころ。この女性が、たんなる芸妓としてではなく、恋人月形の思想に少しでも近づこうとするけなげな女性として性格づけられているのも、今回の映画化に際して特徴といえよう。

 監督は大正十四年、沢正主演で一度映画化したこともある、いわば“月形半平太”の開祖ともいうべき衣笠貞之助。出演陣は市川雷蔵、勝新太郎、菅原謙二、大河内伝次郎、若尾文子、『八月十五夜の茶屋』の撮影でしばらく日本のスクリーンから遠ざかっていた京マチ子、川上康子等の豪華キャスト。( キネマ旬報より )

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昭和31年/1956年「配集トップ10」(配給収入:単位=万円)

1.赤穂浪士 東映 (31,305)

2.恐怖の空中殺人 東映 (19,291)

3.曽我兄弟・恐怖の夜襲 東映 (19,009)

4.旗本退屈男  東映 (18,678)

5.太陽の季節 日活 (18,564)

6.月形半平太 大映 (18,543)

7.ロマンス娘 東宝 (16,500)

8.日本かく戦かえり 大映 (16,160)

9.夜の川 大映 (16,008)

10.女囚と共に 東宝 (16,000)

昭和31年/1956年キネマ旬報ベスト・テン第31位(ベスト・ワン『真昼の暗黒』)

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■ 解 説 ■

 戦後、いち早く色彩技術の研究に先鞭をつけ、すでに日本映画の優秀性を世界に示した大映が、『残菊物語』『夜の河』に引き続き、自信満々のうちに今秋公開する年に一度の時代劇大作、大映カラー総天然色映画『月形半平太』は、衣笠貞之助監督が『義仲をめぐる三人の女』以来、久方振りに時代劇の古巣に立ち帰って得意のメガホンを執ることになった。

 製作スタッフは、社長永田雅一が自ら製作に当り、往年の名作行友李風の原作を監督衣笠貞之助、犬塚稔が共同脚色、撮影は幾多の国際賞に輝く杉山公平が牧田行正とともに担当するが、とくに日本画壇の重鎮吉川観方画伯を時代考証に、上野芳生を衣装考証に、また剣道指導には大野熊雄八段をそれぞれ迎え、大作にふさわしい完璧のスタッフ陣をしいている。しかしこの映画の第一の魅力はすでにジャーナリズムに喧伝されたごとく、大映の東西人気スターが総出演するという絢爛多彩なキャストの超豪華さにある。

 まず長谷川一夫の月形半平太、山本富士子の梅松を中心に、市川雷蔵、京マチ子、菅原謙二、矢島ひろ子、勝新太郎、川上康子、小野道子、川口浩、八潮悠子、林成年、三田登喜子、夏目俊二、中村玉緒、大河内伝次郎、木暮実千代、高松英郎、黒川弥太郎、三益愛子と文字通り大映が擁するオールスターをこの一篇に結集、加えて山村聡、千田是也、山形勲、田崎潤、石黒達也らのベテラン演技陣を迎えて、まさに日本映画空前の超豪華大作がここに初めて実現することになる。(公開当時のパンフレットより)

形をつけるのは衣笠監督

田崎潤との立廻り

長谷川一夫の半平太と黒川弥太郎の岡崎幸蔵

 

 大映京都では天然色で『月形半平太』の撮影を開始。長谷川一夫、山本富士子、若尾文子らオールスターの出演だが、いづれも他の作品に出ていたり、病気だったりで、まず市川雷蔵、田崎潤の出る料亭のセットから撮影をはじめた。右から田崎、雷蔵、それに演技をつける衣笠貞之助監督。

■ 梗 概 ■

 文久三年、祇園祭も間近い夏−時あたかも維新前夜、尊王か佐幕か、攘夷か開国かをめぐって、幕末の京都は不気味な殺気をはらんでいた。全国各地から集った浪士たちは、入り乱れてお互いに反対派を殺し合って行った。

 長州藩士月形半平太は、勤皇派ではあったが、独り開国論を唱えていた。「干戈を交えずして幕府を倒すことだ。たとえ力で幕府を倒しても、薩摩か、土佐か、長州か、そのうちの勝利者が代って天下を統率する。それでは同じことで、われわれは幕府の制度すなわち封建制度を倒すのが目的である。」激しい時勢の流れを見詰めながら彼はいつもこう語っていた。先覚者としての持論を固守する彼は同志からも異端視され、裏切り者として絶えず命を狙われている男でさえあった。

 日焼けした顔で三条大橋にたたずむ旅姿の青年武士−早瀬辰馬は半平太を頼って動乱の京都を訪れたが、藤岡九十郎、岡崎幸蔵、岡田新平ら同郷の長州浪士たちから、月形は長藩の同志から離れようとしている男だと聞かされ驚く。三条河原は今宵も夕涼みに集った人々で賑わっている。浪士、町人、芸者など通行人は雑多であるが、跡部三吾、町娘の波江、芸者文葉・美津代らの顔も見える。勝俣ら尊攘派浪士は、幕府側のスパイとうい町人を高々とさし上げ、橋上から河原めがけて投げ落とす。固唾をのんで見詰める人たちの顔また顔。

 早瀬辰馬は半平太の下宿で突如刺客に襲われ、蘭医間宮玄斎の家で傷口を静養することになるが、月形はこの刺客が岡田新平であり、自分と間違えて早瀬を刺したものとにらむ。玄斎には息子の哲之介と娘のゆりがあり、哲之介は蘭学を修めているところから早瀬に向って盛んに攘夷の行われがたいことを説くが、一方ゆりは次第に早瀬に思いを寄せるようになる。

 祗園の芸妓染八はかねて見廻組の組頭奥平文之助を恋していたが、ある夜“同志の怨み”の掛声もろとも、早瀬の浴びせた一太刀によって殺されたとき、早瀬が半平太の着物を着ていたところから、月形を仇と思いこむようになる。半平太は「奥平一人斬ってどうなるんだ。一本の茨を切ったために、百本の茨が俺たちの前進を妨げるだろう」といって早瀬の早計をいましめるが、早瀬はこれを潔しとせず、月形を離れて、岡崎幸蔵たちのもとへと走った。

 月形がかねて深い情をかけていた祗園の芸妓梅松は、少しでも彼の思想に近づこうと努力するけなげな女であるとともに、明日の命をも知れぬ不安な彼をただ一筋に思い続けるひたむきな女でもあった。月の澄んだある晩、半平太が三条河原で薩摩浪士たちの闇討ちに会ったとき、彼は知らずに染八の家へたどりついて、梅松を呼んでもらうが、染八はこの怪我人が、奥平の仇月形であることを知って、このときとばかり半平太を短刀で刺すが、遂に果さず失敗に終る。月形は奥平を斬ったのは自分でないことを主張するが染八は聞こうとはしない。やがて知らせに馳けつけた梅松に迎えられた月形は、折からの小雨にもかかわらず、「構わん、濡れて行こう」と二人で路地の奥へ消えて行った。

 国許で月形の不評を耳にした妹の萩乃は、心配の余り京都へ上ってくるが、たまたま京の町は祇園祭で賑わっていた。身の危険を避けて月形が舞妓歌菊の家にひそんでいるところへ萩乃は訪ねるが、久方振りの対面に梅松も加えて月形は大いに飲み、大いに語り合った。萩乃は、同志から変節漢とまで呼ばれ、ともすれば挫けそうにさえなる月形に心からなる激励を送るとともに、何かと細かく彼の身の廻りの面倒を見てくれる梅松に感謝の念さえ抱きながら帰っていった。

 かねがね戦わずして幕府を倒すことを考えている半平太は。尊攘派の公卿姉小路公知、桂小五郎に対して、将軍を説き伏せて大政奉還を図るよう力説するが、将軍上洛を好機に、家茂公を説得に赴く途中、姉小路は朔平門外の道で岡崎幸蔵らの攘夷派浪士によって殺害された。梅松の家を訪ねた早瀬から、昨夜の姉小路暗殺の事実を聞いて月形は愕然となるが、さらに早瀬の言葉に沈痛な面持ちで考え込むのであった。

 桂小五郎はじめ開国派の浪士たちは祇園祭の宵宮、扇屋安左衛門の二階に集って秘密会合を持つが、見廻組の探知するところとなり、早くも浪人狩の手配が進められている。月形の許へも赤松大次郎から会合の知らせが来るが、半平太の身を案ずる梅松は、これをひたかくしにかくそうとする。一方染松は、奥平を殺したのは月形でないことを知ると、過日の刃傷事件の許しを乞うため梅松に浪人狩のあることを告げる。同志たちの危機を知った半平太は急ぎ扇屋へかけつけるが、すでに見廻組の手は廻って、室町附近は蜂の巣をつついたような騒ぎとなっていた。

 月形は竹薮の道で彼の命を狙う岡崎、藤岡、岡田らの大勢の旧同志たちと立会い、獅子奮迅して斗う。早瀬は最初半平太に立ち向かおうとするが、「早瀬、時勢は烈しい勢いで進んでおる。自重せい、これが俺の最後の言葉だ」という月形の悲痛な叫びに意を決して、遂に半平太の助勢に立つ。しかし半平太の胸には火縄の短筒が狙っていた。爆音一発、月形は辷るように崩れるが、急を知ってかけつけた梅松に頬をすり寄せながら桂小五郎、早瀬、赤松らに見守られて静かに息を引き取って行った。朝日をうけた朱塗りの六角堂が燦然と輝き、鳥の囀りに交じって、朝の勤行が厳かに聞こえはじめた。(公開当時のパンフレットより)

「月形半平太の唄」1934(昭和9)年

松竹映画 『月形半平太』(監督:冬島泰三) 主題歌 
作曲:近藤政二郎/作詞:佐藤惣之助/歌:東海林太郎

一、
 ぬれて行こうか ぬれずに行こか
 花の祗園の 灯もゆれる
 袖に降れ降れ 恋の雨
ニ、
 今日も淋しや 都の春は
 呑めば薩摩か 長州か 
 暮れりゃ白刃の 月あかり
三、
 泣いてくれるな 鴨川千鳥
 すてる生命は 惜しまねど
 明日の別れを なんとしょう
四、
 寄るなさわぐな まだ酒さめぬ
 人を斬るなら 恋も切る
 男月形 半平太


この曲も「赤城の子守唄」ほどてはないが、評判がよくて巷で唄われていた。
映画のほうはお定まりの幕末維新劇で、林長二郎の月形半平太、及川道子が幾松ならぬ梅松役で出でいる。

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 「−春雨じゃ。濡れてゆこう」これは、大正八(1919)年から今でも通じる、剣劇舞台劇の大ヒーロー「月形半平太」の名セリフ。当時大モテの勤皇の志士半平太が料亭から芸妓染八に送り出されての帰りぎわ、さしかけられた傘をサラリとかわしての粋なことば。

 天皇側か徳川側につくかで血腥い革命前夜の京都を舞台に、天皇制回復への憂国の情を悶々と抱きながら芸妓遊びで韜晦(ゴマ)かしている彼は志士仲間からも誤解され、とうとう同志の偽手紙に誘い出され、終幕「松ケ崎大乗院の場」で乱刃の中に斃れてしまう。そして自らの鮮血で[ 死して護国の鬼となり ]と壁へ大書、軍国国家へ傾く当時の観客に大喝采をあびた。この波瀾万丈型剣戟小説の草分け作家行友李風は明治十(1888)年生まれ。新国劇の座付作家の後、大衆作家生活に入った。娯楽小説なのにほとんどの作品が最後は主人公の死で終るあたりに大正期作家の無常観を見出せなくもない。( 別冊太陽 「時代小説のヒーロー100」 石井富士弥より )

 「月形半平太」は行友李風作の戯曲、およびそれを原作にした映画・テレビドラマであり、主人公の名である。「国定忠治」とならび新国劇を代表する作品として知られる。1919(大正8)年、京都明治座での公演が初演である。

 1917(大正6)年、島村抱月主宰の芸術座を脱退した澤田正二郎、倉橋仙太郎、金井謹之助らにより結成された「新国劇」が旗揚げ公演に興行的に失敗、大阪に赴き、翌1918年、行友李風を座付き作者として迎える。そこで書かれたのが、「月形半平太」および「国定忠治」であり、1919年の京都明治座での初演で大好評を得、また同年、「国定忠治」も名古屋末広座での初演が大好評、この2作は「新国劇」の財産演目となる。

 本作は土佐藩士武市半平太こと武市瑞山(1829-1865、35歳没)をモデルにした、行友のオリジナル作品である。雛菊「月様、雨が…」月形「春雨じゃ、濡れてまいろう」という名台詞で広く知られる。

 新国劇の決定版キャスト、衣笠貞之助監督、直木三十五・マキノ省三プロデュースによる1925年の第一作以来、16回映画化されている。長谷川一夫が3回演じ、衣笠貞之助が3回(うち1回は応援監督)演出している。また、テレビドラマでも3回製作されている。(出典:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」)

【映画】

戦前・無声映画
1925年 監督:衣笠貞之助/脚本:古間礼一  主演:沢田正二郎、久松喜代子 製作:聯合映画芸術家協会等持院撮影所
1926年 監督:高橋寿康  /脚本:野村雅延  主演:河部五郎、酒井米子 製作:日活大将軍撮影所
1928年 監督:印南弘    /脚本:大河原保  主演:山口俊雄、千代田綾子 製作:山口俊雄プロダクション
1929年 監督:枝正義郎  /脚本:竹井諒  主演:草間実、原駒子 製作:東亜キネマ京都撮影所
1929年 監督・脚本:冬島泰三  主演:林長二郎、浦浪須磨子 製作:松竹下加茂撮影所
1931年 監督:岡山俊太郎/脚本:不二麗人  主演:阪東妻三郎、鈴木すみ子 製作:阪東妻三郎プロダクション/配給:新興キネマ
1933年 監督:伊藤大輔   /脚本:西原孝  主演:大河内伝次郎、松枝鶴子 製作:日活太奏撮影所
1933年 監督:石山稔  主演:市川百々之助、橘喜久子 製作:市川百々之助プロダクション/配給:大都映画 
1935年 監督:仁科熊彦  /脚本:板間清彦  主演:羅門光三郎、桜井京子 製作:極東映画社 ※以上すべて無声映画
1935年 監督:山本松男  /脚本:比佐芳武  主演:嵐寛寿郎、原駒子 製作:嵐寛寿郎プロダクション/配給新興キネマ ※部分発声映画

戦前・トーキー
1934年 監督・脚本:冬島泰三  主演:林長二郎、八雲理恵子 製作:松竹下加茂撮影所
1937年 監督:志波西果 /脚本:武内頼彬・南郷亘  主演:月形龍之介、葵令子 製作:大日本天然色映画、配給:日活
1939年 監督:大曾根辰夫、応援監督:衣笠貞之助/脚本:泉次郎吉(衣笠貞之助)  主演:坂東好太郎、伏見直江 製作:松竹下加茂撮影所

戦後
1952年 監督:内出好吉 /脚本:永江勇・鈴木兵吾  主演:市川右太衛門、山田五十鈴 製作:松竹京都撮影所
1956年 監督・脚本:衣笠貞之助 /共同脚本:犬塚稔  主演:長谷川一夫、山本富士子 製作:大映京都撮影所
1961年 監督:マキノ雅弘 /脚本:伊藤大輔  主演:大川橋蔵、丘さとみ 製作:東映京都撮影所

【テレビ】 

1953年 月形半平太 ※単発、森川のテレビドラマデビュー作 主演:森川信 製作:日本テレビ
1960年 新国劇アワー『月形半平太』  主演:辰巳柳太郎 製作:KRテレビ
1973年 ご存知時代劇『月形半平太』 演出:渡辺邦男/脚本:鈴木兵吾 ※単発 主演:市川海老蔵 製作:NETテレビ 

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