薄桜記

1959年11月22日(日)公開/1時間50分大映京都/カラーシネマスコープ

併映:「浮草」(小津安次郎/京マチ子・若尾文子)

製作 三浦信夫
企画 財前定生
監督 森一生
原作 五味康祐
脚本 伊藤大輔
撮影 本多省三
美術 太田誠一
照明 中岡源権
録音 海原幸夫
音楽 斎藤一郎
助監督 井上昭
スチール 松浦康雄
出演 勝新太郎(堀部安兵衛)、真城千都世(千春)、三田登喜子(浪乃)、大和七海路(三重)、北原義郎(長尾竜之進)、島田竜三(大高源吾)、千葉敏郎(友成造酒之助)、舟木洋一(神崎与五郎)、伊沢一郎(戸谷兵馬)、須賀不二夫(村上庄左衛門)、清水元(長尾権兵衛)、寺島雄作(嘉次平)、加茂良子(お志津)
惹句 『隻腕、弧を描く雷蔵の必殺剣双手、宙に踊る、勝のニ刀流五味文学最高傑作の映画化』『鬼気迫る雷蔵の精妙剣勝奮迅のニ刀流友情か、意地か、美女への慕情か今ぞ相見る運命の二剣士』『妖気をはらんだ五味康祐の評判小説、雷蔵・勝の魅力の顔合わせで映画化』『降りしきる雪を血に染めて悲愴、壮絶の死闘展開』『音もなく降る初雪が一陣の剣風に舞って紅に染まる断つは恋の未練か斬るは武門の意地か隻腕妖気をはらんで怨敵に躍る

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クリック!公開から五十周年記念特集 『薄桜記』 典膳と千春、ふたたび-へ

★解 説★ 

★いまや各方面から要望されている新しい時代劇には、まずそ素材の異色さと新鮮さが第一の要件となるわけですが、その意味でも『薄桜記』は出色のものです。

★物語は有名な赤穂浪士の仇討が背景となっていますが、いわゆる義士外伝的なものとはおよそ感じのちがう、格調の高い運命と剣と悲恋の叙事詩ともいうべき時代劇です。

★原作の五味康祐は、いうまでもなく剣を主題にした小説の第一人者ですが、産経新聞に連載されて大好評を博したその力作を、脚本家としても映画有数の伊藤大輔監督が二ヶ月の月日を費やして心血を注ぎ、香気ゆたかな一篇のロマンとして見事にシナリオに結実させました。

★演出に当る森一生監督は、人も知る伊藤監督の愛弟子であり、近来とみに好調の同監督が、この名脚本に愈々意欲を燃やして自らの声名を敢えて世に問う意気ごみですし、同監督のよき女房役本多省三カメラマンも、この一作にあらゆる野心的な試みを賭けています。

★大映時代劇の若き世代を狙う市川雷蔵と勝新太郎が、隻腕の剣豪丹下典膳、赤穂義士随一の剣客堀部安兵衛となって、オール・スタア映画以外に顔を合わし、火花を散らして競演するのも『柳生連也斎・秘伝月影抄』以来四年振りですが、久しぶりに四つに組むことは、けだし見逃しにならぬ魅力でしょう。

★さらに、この作品でSKDから大映銀幕にデビュウする新スタア真城千都世(まき・ちとせ)が、二人の主人公に恋される薄命のヒロイン千春を演じ、三田登喜子、大和七海路、北原義郎、島田竜三らの人気スタア、千葉敏郎、舟木洋一、伊沢一郎、須賀不二夫、清水元、寺島雄作、加茂良子、浅野寿々子、浜世津子、香川良介らの芸達者を交えた五十数名に上がる多彩な配役も、この異色作にふさわしいものといえます。

★映画全体は、吉良家討入直前の堀部安兵衛の回想で縁取られ、高田の馬場の駆けつけ、運命の剣士丹下典膳との出会い、高田の馬場の決闘とスピーディな滑り出しから、この二人の運命が、二転、三転、四転と、絡み合いつつ、この主人公たちを皮肉な立場へ追い込んで行く構成の面白さは、近来の時代劇に見られぬ魅力で、見る人に一層の感銘を残すことと思われます。

★江戸時代のもっとも華美だった元禄期の風俗も総天然色の画面で遺憾なく再現されますし、剣の凄愴さはその道の権威者森田鹿蔵教師の指導と名殺陣宮内昌平のアレンジで、随所にその殺気をみなぎらせます。しかも、全篇を通じての美しく悲しい恋の雰囲気は、心を打つ感動となって、見る人の胸のに迫らずにおかないでしょうから、娯楽味が豊富で、題材が新鮮で、しかも調子の高いこの『薄桜記』こそ、本当の時代劇だといってはばかりません。(公開当時のプレスシートより)

−吉良家討入直前の堀部安兵衛の回想によって物語は展開する。安兵衛の高田の馬場への駆けつけというスピーディーな決闘から滑り出す。そこを通りかかった丹下典膳との出会い。二人がそれぞれに破門され、互いに織りなす意外な運命が二転、三転。安兵衛は播州浅野家へ、典膳は千坂兵部の知遇に応えて吉良の付人と、それぞれ仕えることになる。二人が皮肉な立場へと追い込まれる中で、武門の意地と友情を描き出す。−

  

★ 略 筋 ★

 中山安兵衛が高田の馬場へ伯父の決闘の助勢に駆けつける途中、すれちがった旗本丹下典膳は、安兵衛の襷の結び目が解けかけているのに気づいて、自身もかけつけたが、安兵衛の決闘の相手が同門知心流であることを知ると、典膳はその場を離れた。堀部弥兵衛親娘の助けを得た安兵衛は仇を倒した。

 一方、同門を見捨てた典膳は堀内一刀流の安兵衛へ決闘を迫られたが、拒絶した典膳を師匠の知心斎は破門した。安兵衛も師匠堀内源太左衛門の心を察して道場から遠のいた。

 源太左衛門の紹介で、上杉家江戸家老千坂兵部の名代長尾竜之進が安兵衛に仕官の口を持って来た。安兵衛はその妹千春に心をひかれた。谷中へ墓参の途中、野犬に襲われた千春は典膳に救われたが、生類殺害の罪で役人にとがめられた二人を救ったのは安兵衛だった。千春が典膳と恋仲であり、祝言も近いことを知った安兵衛は上杉家への仕官を断り、堀部弥兵衛の娘お幸の婿になって播州浅野家に仕える運命になった。

 典膳が公用で旅立った後の一夜、典膳に恨みをもつ知心流の門弟五人が丹下邸に乱入し、思うさま千春を凌辱して引揚げた。間もなく千春が安兵衛と密通しているという噂が伝えられた。旅先より戻った典膳は事の真相を掴み、親戚一同を集めて妻の無実を訴えた。

 浪人となって五人組に復讐する決意をした典膳は、長尾家を訪れ千春を離別した。典膳はその理由を語らず、千春の兄にわざと片腕を斬らせた。しかしこれは典膳ののぞむところだった。同じ日、安兵衛の主人浅野内匠頭は上杉家当主の実父吉良上野介を、江戸城松の廊下で刃傷に及んだが、その日を限りに典膳は消息を絶った。

 一年たった。同志とともに吉良襲撃を志して辛苦する浪人安兵衛は、或る日、吉良の茶の相手をつとめる女を尾行して、それが千春であると知って驚いた。典膳と別れた千春は千坂兵部の世話で自活していた。典膳も兵部の好意で米沢で療養していたが、兵部の手引きで吉良家に迎えられることになった。

 二人が江戸に戻ると同時に兵部の死が伝えられ、知心流五人組を斬った後、典膳は吉良の附人となり、赤穂浪士と戦う決意をした。一方安兵衛らの計画も進み、吉良が催す茶会の日取りを確かめるだけになった。

 この頃、典膳が江戸にいることを知った五人組の生残り二人は典膳を襲った。典膳は来合せた千春に救われ、七面山のかくれ家に運ばれたが、二人組は吉良邸から加勢を得て七面山に向った。一行は同門典膳の知心流の妙技に倒れたが、千春も一行の放つ銃弾に倒れた。

 折しも、千春を尋ねて安兵衛が七面山にたどり着いた。斬りまくる安兵衛に千春は吉良家の茶会は明十四日夜と告げると、典膳と相寄って果てた。( キネマ旬報より )

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                     薄桜記                               田山力哉

 伊藤大輔のシナリオを森一生が監督したという、いわば、京都時代劇のヴェテランの顔合わせであるが、さすがにそれだけのことはあった。コクのある画面の積重ねが、観客たる我々を飽きさせることを知らない。

 最も印象に残るシーンと言えばラスト近く、市川雷蔵扮する丹下典膳なる武士が、自分の妻を犯した無頼の五人組と対決する辺りであろうか。公儀のために旅立った留守中、最愛の妻が卑怯な手段で犯されてしまう、そのために悶々と悩み、妻とも別れ、復讐を誓うが、不運にも片腕を失くし、その上、脚を射たれて歩行も不能となる。そこへ押寄せた無頼の徒等・・・白い雪が降りしきるなかで、立上ることもできぬまま、刀を抜き放って、多勢の敵と斬り結ぶ、冷徹というか、凄惨というか、何かヒヤリとするような魅力をたたえた、チャンバラのシーン。こういう場面を見ていると、いかに才人ともてはやされそうと、若輩の演出では及ばない、深味のある感覚を見出すのである。

 典膳は遂に、雪の中に横たわり、息たえて行く、その屍体に、やはり虫の息の妻千春がいざり寄って行き、手を固く結び合う。月並みの通俗時代劇のヒーローやヒロインにはありえない、不幸の数々に見舞われ、そして最後には非業の死をとげる、この相愛の夫妻、そこに映画は、本当の愛の情熱の姿を浮彫りさせているし、また、人生というものの悲しさを画面にみなぎらせている。娯楽時代劇として作られたものでありながら、作者の練りに練ったセンスの豊かさが、より深いものを表現してしまっている。

 映画は、この典膳夫妻と、四十七士の一人である堀部安兵衛の行状とをからませて描き、ドラマとしても、波乱に富んだ面白さが充満している。安兵衛が典膳の妻千春に寄せる慕情も、珍しい(?)新太郎の好演により、よく描かれているが、それが典膳との男同士の友情との相剋によって、より微妙に捉えられれば、もっと面白味を増したであろう、ややバラバラな印象を与えたのは惜しいことである。

 原作は五味康祐、と顔ぶれはすべて上々だが、それに恥じぬ、第一級の娯楽時代劇である。私は高く買う。

興行的価値 底力ある時代劇としてキャストも強く『浮草』二週目併映の封切りはヒット。(キネマ旬報より)

         

          

公開前日に新聞紙上を飾った広告

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赤穂浪士異色の外伝「薄桜記」は、1959年(昭和34)新潮社より発行。新潮社文庫で読める。

忠臣蔵を描いて比類なし、武士道を捉えて天下随一の名作。作家・荒山徹氏も熱血大絶賛!

 旗本随一の遣い手と言われた丹下典膳は、はからずも左腕を失い市井の浪人となった。一方、一刀流堀内道場の同門である中山安兵衛は、高田馬場の敵討で剣名を挙げ、播州赤穂藩浅野家の家臣・堀部安兵衛となる。立場は異にしても、互いに深い友情を感じる二人。だが、浅野内匠頭の殿中刃傷は、二人の運命をさらに変転させた。時代小説界の巨人が、侍の本分を貫く男たちを描いた名篇。

西脇英夫・映画より面白い(174)『薄桜記』 五味康祐・著/新潮文庫

 森一生の最高傑作とされる『薄桜記』(1959)は、前年、「産経新聞」夕刊に連載された五味康祐の時代小説を映画化したものだ。脚色は伊藤大輔、ただし両者にはかなりの違いがある。もちろん、隻腕の剣士丹下典膳と愛妻千春の悲恋、中山安兵衛の片思いと丹下に対する厚い友情などが物語の軸であることには変わりはないが、小説は『忠臣蔵外伝』といったおもむきが強く、浪人丹下典膳が主役ながら、とくに後半では、浅野内匠頭の刃傷沙汰から赤穂浪士の討ち入りまでが詳細に語られている。

  一方、映画は、典膳と千春との出会いに始まり、結婚、甘い新婚生活と続き、中山安兵衛の高田馬場での敵討に、たまたま典膳が折合わせ、剣道場の仲間が安兵衛に斬られるのを見過ごしにしたと同輩らに逆恨みされ、彼の留守中に妻を犯されてしまう。このことが噂となり、典膳は親類たちに狐がとりついただけだと納得させた上で、千春を離縁する。しかし、義兄の怒りを買って、片腕を斬り落とされ、その後、浪人となって隠遁しているが、恩人千坂兵部の手引きで、討入りの前夜、妻の復讐を果たすため例の同輩らと対決する。こうして、隻腕の上に鉄砲で足も撃たれ、戸板に乗せられながらも全員を倒すが、駆けつけた千春と共に斬り死にし、それらのことを回想しながら、中山安兵衛が赤穂浪士と共に吉良邸へ向かうというもの。いかにも、伊藤大輔好みの世話狂言である。

  ところが小説では、典膳と千春はすでに結婚していて、典膳が大坂赴任の間に、新妻が幼馴染と間違いを犯し、人の噂になってしまう。江戸へ戻った典膳はこれを狐の仕業として処理し、周囲を納得させた上で妻を離縁、これにより千春の兄に腕を斬り落とされる。ということで、千春の復讐などという話ではまるでない。では何があるかというと、その後の典膳の浪人生活の様子が延々と描かれている。もちろんその中に、安兵衛も登場するが、その他、上杉家江戸家老千坂兵部、柳生新陰流中興の祖柳生連也斎、豪商紀伊国屋文左衛門、人足請負業の元締白竿長兵衛といった様々な人物がからみ、典膳は千坂との交情から吉良の付け人となり、浅野家の家臣となった安兵衛と、互いに友情を覚えながらも敵対関係となってしまう。

  最後は、吉良の強力な用心棒である典膳を、安兵衛がどうしても斬らねばならないはめになり、典膳は安兵衛に討入り決行日の情報を与えた上で彼と対決し、覚悟の斬り死にをしてしまう。もちろんここに、千春が登場することはない。このように小説はあくまでも討入りを最後の締めくくりとして。吉良側と浅野側の明暗二人の生き方を、対照的に描くことを主旨としている。

  この手法は作者の得意とするもので、「二人の武蔵」「二人の荒木又右衛門」「柳生武芸帳」「柳生連也斎」「風流使者」などにも形をかえて現れている。なお、丹下典膳という名前は、林不忘が創作した「丹下 左膳」と、大仏次郎が創りだした「鞍馬天狗」の本名「倉田典膳」の合成であるが、作者によれば実在の人物ということになっている。ただし、真偽のほどはわからない。

 それにしてもl、この小説からあの映画のドラマを脚色した伊藤大輔の創造力は賞賛に価する。映画の方がよかったというのではない。『薄桜記』に限って、映画と小説では、まったくといっていいほど別物なのだ。(キネマ旬報98年7月上旬号より)

 

『薄桜記』原作のあらまし

[元禄六年]

 知行三百石(−と云えば、あまり自慢にもならない身分であるが)旗本で、大番組の丹下典膳は、一刀流堀内源太左衛門の道場随一の遣手で、「師を凌いで東国一、否、或いは天下無双か」と称された剣士だった。妻の千春とは二年前に結婚した。千春は、羽州米沢十五万石の上杉家中で評判の美女。他所目には人も羨む鴛鴦夫婦と見えたが、典膳が公儀御用で大阪へ出張中の空閨に、幼馴染の瀬川三之丞(上杉家の家臣)と不義密通の噂が立った。

 青壮無名の田舎剣士、越後新発田の浪人中山安兵衛が堀内道場に入門したのは、折柄そうした丹下家の醜聞が洩れ始めた頃で、畏敬する同門の先輩典膳とはいまだ一面識さえ持ち得ない、新参末輩の一人としての存在でしかなかった。

 一年振り、旅先から帰った典膳の前に、千春は瀬川と密通の事実を告白した。しかるに典膳は、深く糾さず、責めず、咎めず、姦夫姦婦の制裁に好奇の固唾を呑んで期待している人々の思惑を他所にウヤムヤのうちに時日を空費して、やがてその年も暮れて行った。

[ 元禄七年 ]

 正月。丹下邸で謡初めの会を催すというので招かれた千春の父権兵衛、兄の長尾竜之進始め親類縁者、それに典膳の同僚や堀内道場の幹部級を混えた大一座の賑わい最中、矢庭に刀を執って座敷を飛出して行った典膳は一頭の古狐を仕留めて一座の人々に示した。(これは老僕嘉平次に命じてひそかに買求め飼育していたものである)「千春と瀬川某と密通の風評は、或いはお聞及びかとも存じまするが、密夫の正体は此の妖狐の仕業と判明しました。斯く成敗の上は、今後再びその惧れは起ることも御座いますまい。何とぞ御疑念をお霽らし下さいますように」妖狐変化の存在を信じ切っていた蒙昧な、迷信深い当時の人々は、見え透いた丹下の計略にコロリと乗せられて、頭ッから此の作り話を肯定し、噂は口から口に拡がって千春の姦通の汚名は払拭された。

 それを見届けた上で、典膳は離別を宣言した。千春は覚悟の上だったが、兄の竜之進は断じて受付けない。千春の潔白は典膳自身が狐を退治して証明した。されば何を理由に離別するというのか?妻の不貞を認めるならば姦夫姦婦共に討ち果すべきだが、そうすれば、「寝取られ男」のさげすみを免かれる訳にはいかない。我が面目も保ち、妻の不名誉も救い、暗黙のうちに妻の実家の諒解も得て、三方都合よく納めたい・・・・・という典膳の算呂盤は、相手の感情を計算にいれていなかったので勘定に狂いが出来た。

(この辺の前後の運びは、作者も計算をあやまったらしい節々がある。例えば、小説の此の時期は犬公方綱吉による「生類憐れみの令」の一番厳しかった頃で、蝶々、蜻蛉、キリギリスの類を虫籠に入れてさえ罰せられる。況や狐を斬ったことなど表沙汰になれば家名断絶どころの騒ぎでは済まない。だから狐退治の場面に、絶対秘密の厳守される親戚以外の人物を列席させようなどしてはもはや処置無しというものである。)

 離別した千春の身柄を、受取れ、受取らぬの諍論の揚句、憤怒に逆上した竜之進は抜討ちに典膳の片腕を斬落してしまった。その事件があって旬日後、高田ノ馬場の決闘。安兵衛、遠縁の菅野六左衛門に助太刀して村上兄弟の一党を討つ。

(巷談の俗説を排し、堀部弥兵衛とその娘が安兵衛を声援したりなどする場面無し。但、瀕死の菅野を背負って市ヶ谷まで辿り着いた時、此の作者によって生命を賦与されたお馴染の剣豪柳生連也斎と出会し、その計らいで尾州家の下屋敷に入ることを許され、菅野は安兵衛の介錯で武士の最後を潔ようする。)

 安兵衛、忽ち江戸中の人気者となり縁談、仕官の申込み降るが如くで、堀部弥兵衛もまた勧誘員の一人として登場して来る。安兵衛につきまとう町娘の中にお豊とお志津の二人がある。二人とも安兵衛が内職にしている筆作りの卸元の筆屋の娘である。お志津は安兵衛が出入りしている書家の静庵に筆を納めている関係から特に安兵衛に馴馴しく、一方お豊の方はまことに古風に恋患いで臥ってしまっている。しかし安兵衛は両手に花のいづれをも振切って、堀部家へ入婿するというプラグマティズムの直線コースへ踏み切った。

(−と云風に作者は明解に割り切っていないので、解明が頗る厄介になる。結論は持って廻って結局そこへ到達するのだが人間心理の微妙な揺曳が文学の特質なのであり、映画とはその文法が違うのだから−議論は措く。)

 ここに、一代の豪商紀文こと紀伊国屋文左衛門が登場して来る。彼は幇間書家の静庵を通じて安兵衛に近づき、かねて抱懐する遠大な海外渡航の計画に安兵衛を同志の一員としてその陣営に誘致しようと働きかける。

 一方、片輪者になった典膳は役向きを退き世上と交わりを絶って深川に隠栖し、老僕嘉平次と二人だけの生活に入るが、斬られた腕の疵はなお疼き、千春への尽きぬ未練とはいやさらに疼く。

 一旦のあやまちこそ犯したれ、千春が典膳に対する思慕の念は、去られた後にいや熾り、見る目も不愍な有様に、親の方が堪らなくなって、何としてでも復縁させてやりたいものと(−どうも此の親子の考え方というものが私には納得行かない。典膳を不具者にしたのは誰なのか。その為に典膳が世間から葬り去られるに至ったそもそもの根源に就いて、千春は何と考えているのか?)親子で揃うてノコノコと典膳の隠宅を探し歩いて、やっとつきとめて、面会を懇請した。

 典膳は作者の創成した主人公であるが、その言動の前後撞著には「最も不甲斐無い精神であった」と作者自身が歎ぜざるを得なかった(だからこそ面白いのであり、私もこの主人公を愛するのであるが、それをシナリオに表現するには私の力は及ばなかった)−そうした不甲斐無い典膳ではあったが、長尾父娘の来訪の趣旨に対しては、毅然たる武士の節度を崩さなかった。

 典膳は嘉平次をして峻拒させた。権兵衛もさすがに面談を強要出来る筋合いの事では無いので不精々々諦めて帰りかけたが、典膳の窮乏を察し、手土産と称して若干の金を置いて行こうとした。これが硬骨嘉平次の土性骨にガン!と徹えた。

「以前の舅どのとて縁を切れば他人。他人様の施こしをお受けなさるほど丹下様の武士道は落ちぶれては居られませぬわい」と一蹴し、激昂した権兵衛は「下郎の分際で楯づくかッ」と、あわや引き抜きかけた肘を、通り掛りざまにぐィと掴んで制したのが安兵衛である。その臨機の働らきに、血を見ずして其の場は納まった。

 問題のヒロイン千春を此時安兵衛は初めて見た。そうしてこれが縁となって典膳と知合うことになって行く。

 さて、先に述べた紀伊国屋文左衛門は、切角目星をつけた安兵衛が、堀部弥兵衛の娘幸と祝言して入婿となり、浅野内匠頭の家臣に納まってしまったので、今度は失意落魄の剣士典膳に目をつけて、海外貿易の大望に荷担させることに成功し、月々の生活費を支給する約定まで取結んだが、それが思いもかけぬ紛争のキッカケとなって(−経緯は複雑多端で簡単に説明出来にくいから省略する)一刀流に対抗する知心流道場の剣士十四五名を相手に決闘しなければならない羽目になった。片腕を失って以来初めての立合いであるが、隻手縦横無礙、瞬く間に四五人を斬り伏せたところへ、それと聞いて駈けつけた安兵衛が助勢に飛込んで残余の連中を潰走させたが、いくら封建殺伐の時代でも無闇に人を殺傷して其儘で済む筈が無い。

 典膳は吟味五十余日の後、ようやく牢から放免された。「喧嘩両成敗」で「江戸一里四方追放」の裁定だったのを、裏面運動で司直を動かし「お構い無し」にまで持って行ったのは、一ツは例の紀文の財力、一ツは米沢藩の江戸家老千坂兵部の政治力。

 千坂はかねて深い洞察力を以て、千春離別一件に就いての典膳の苦衷を理解し、惻隠の情を懐いていた上に、典膳を斬った兄の竜之進と同居して居なければならない千春の境涯を愍れんで我が屋敷に引き取ってやっていた−そうした関係もあっての援助だった。

 しかも牢を出た典膳は、千坂の権勢と紀文の財力のいづれも忌避して、家財を売り払い、嘉平次にも暇を出し、浅草お蔵前の人足元締である白竿屋長兵衛の許に身を托した。長兵衛は、鳶の者との詰らぬいさかいでお咎めを受けて入牢中、典膳と相知ったのである。(これは有り得べからざる事であるが、上り座敷と町人牢の区別を無視して、現在の雑居房並みに解釈して書かれてある)

 この長兵衛の妹のお三というのが典膳に恋着するようになる。典膳もまたその心情にほだされてお三を妻と定め、千春への煩悩を断ち切って新生活へのスタートを決意したが、これには兄の長兵衛が真っ向から反対した。白竿組請負の工事現場へ出向いて現場のイザコザに対して睨みを利かすのが用心棒としての典膳の仕事であるが、時折り、遠くの物蔭からひそかに典膳を見守っている女人の姿があり、それを千春と知り、その事実を我が眼で見極めている限り、お三を差上げる訳にはいかないと云うのである。

「どんな事情があってお別れになったにしろ、奥様は今なお先生を慕っていらっしゃる。先生も心の底では奥様の事を忘れ切ってはいらっしゃらない。それを無理矢理思い切り断ち切る為の道具にお三を嫁になさりたいとは、あんまり惨酷というものです。お三はあッしの大事な可愛い妹だ。どうしてあいつを喜ばせるようなそんな罪な言葉をお吐きになったんでござんす。あッしゃ怨みに思います」

 理の当然な長兵衛の直言は典膳の心魂に徹し、素直におのれの非を悟って頭を下げた。「悪かった。結局サムライ根性が抜け切れない上に、片輪者という自分に僻みながらも甘えていた訳だ。よし!この片輪者がこの片腕でどれまでやって行けるか叩き直して見よう。所詮、自分を生かす道は剣以外にはあるまい。隻腕果して剣聖に伍し得るか、それとも名も無き野辺に朽ちるか・・・・」

(この辺は全篇の圧巻ではないかと思う。愛する者のふとしたあやまちから自分の人生に蹉跌いた人間の歎きが浮彫りに描かれているが、映画化の方式の約束上、自分は此の点を掘り下げることが出来ないで割愛してしまった)

かくて典膳は飄然として白竿組を去り、そのまま消息を絶ってしまった。

(自・元禄八年−至・元禄十三年)空白の六年間の歳月が流れる。

[ 元禄十四年 ]

 三月。浅野内匠頭「松ノ廊下の刃傷」。浅野家取潰し。安兵衛再び浪人となる。

[ 元禄十五年 ]

 赤穂浪士の復讐計画進捗す。

 時の米沢藩の当主上杉弾正大弼は、吉良上野介の伜が養子に行ったものである。もし赤穂浪士が復讐を決行するとすれば、子として親の討たれるのを傍観している訳にはいかぬし、下手に介入すれば側杖を喰って上杉十五万石がフイにならぬとも限らない。この責任の一切が千坂兵部の双肩にかかる。

 まず、上野介を護衛のため、いわゆる附人が本所の吉良邸に配置されたが、むろん上杉家にはいささかも関係も無い浪人者、いずれも天下の喰い詰め者で、烏合の衆のことだからこれを統監する人物が必要である。千坂は典膳をそのポストに置きたいので、千春に命じてその所在を探索させる。

 この数年間の典膳の行動は詳述されていないが、とにかく此の際には江戸に帰って、谷中の瑞林寺という古刹に籠居していたのを千春に尋ねあてられ、結局、附人になって吉良邸に入り込む。(典膳の隠れ家を千春に教えたのが安兵衛であることや、其他いろいろ錯綜した顛末あれど、一切略す)典膳と安兵衛との交誼は至って浅かったが典膳は安兵衛に特別な親近感を懐いて居り、これを相手に闘うことに苦患の業のごときものを感じる。

 安兵衛もまた同じ念いである。しかし典膳を生かしておくということは、討入りに際して同志五十人の生命を空しく失うということである。大事遂行の障碍をなすものは親を滅しても排除されねばならない。典膳討たざるべからず。しかも討入りの日時は目睫の間に迫りつつある。本所の吉良邸の修覆が終ったので、これまで上杉家で暮していた上野介が我が本宅へ年忘れの茶会をやりに帰って来る−その日を逸しては又の機会はいつ再び巡り来るとも判らないし、その日が都合によると明日かも知れぬし或いは明後日かも知れないのだ。同志の不安と焦燥は頂点にまで達した。

 安兵衛はツテを手繰ってかねて見知り越しの白竿組の長兵衛に会った。「今度江戸を見切って故郷の越後新発田へ引籠ることになったので、丹下氏にお別れの挨拶をして発ちたいのだが、それがしは元浅野の家来、丹下氏は吉良殿の屋敷に居られるので世間の思惑にも憚りあり、お訪ねする訳に行かないのだ。そなたに橋渡しを頼みたいのだが・・・・」「場所は?」「どこでなりとも」「貴方様お一人で御座いますね?」「無論のこと!」「日時は?」「早いほど結構。明日にでも江戸を発ちたいから」典膳は安兵衛からの申入れを承諾したが、「明日では早過ぎる。会う日はこちらから改めて報せるから」と、長兵衛に返答させた。明日では早過ぎるの意味が安兵衛には呑み込みかねたが、同志の偵察でその謎は解けた。上野介は明日はまだ本所の屋敷へは帰って来ないのだ。「典膳は知っている!」さすがの安兵衛も動転した。

 典膳から安兵衛に「会おう」とことづけのあった十四日は朝から雪だった。長兵衛を従えた典膳が約束の谷中七面宮へ出向くと、相手は安兵衛一人と思いの外、横川勘平、毛利小平太などの五人の赤穂浪士と知れた。

 「卑怯だッ、約束が違う!」と長兵衛が叫んだ時、早くも五人は典膳を取巻いた。しかし典膳はかくあるべきことを承知の上で出かけて来ている。「拙者は他の諸氏を斬りたくない。この勝負、堀部氏と拙者だけに極めて貰えないか」「よかろう」と言ったが、言葉の下から中村清右衛門が斬ってかかり、続く鈴田重八、毛利小平太の三人ともども転瞬の間に典膳の刃に伏したが、結局安兵衛に脳天から割りつけられて典膳は死んだ。

 その夜、赤穂浪士は吉良邸へ討ち入った。

[ 付記 ]

 この片々たるダイジェストを作るのに正味丸三日を要しました。それほど此の小説は錯雑多岐を極めて居り、前後十数年間の時間経過はあり、とても映画にアレンヂすることはむつかしいと思ったのですが「どの様に改変されても差支え無い」との五味氏の言質を得たので、思い切った歪曲と換骨奪胎を敢てしました。その結果、あまりにも原型と違い過ぎる話になりましたので、原作の概略を摘記することにしました。

 いわゆる話のヤマは、吉良邸討入当夜に先立って白昼飛雪の裡に行われた安兵衛と典膳の決闘にあります。目的の為には手段を選ばない境地に追い込まれて行く安兵衛の心事も哀れです。一騎討ちの対決であるべきものを加勢を求めて典膳に挑まざるを得なかった己の劣等感、乃至卑劣さも人間的であって大へん結構だと思います。それに対する典膳の心理も(小説には説明されてありませんが)納得出来ないではありません。たとえ彼の精妙剣を以ってしても赤穂浪士の討入りをその隻手に支え切れるものでは無く、いづれは死ぬに極まっているものなら、せめて心友の安兵衛と事前に雌雄を決したい。成ろうことなら上野介在宅の日を告げてやっておいた上で、剣一筋に生死を賭けたい、その気持ちは十分察せられます。作者の狙いもそこにあったと思われる。

 ただ、小説の上では、典膳をその心境にまで持って行く必然性が希薄であり、具象的に展示されていない。端的な視覚化を性急に要求する映画の上に、そうした心理の隠微な揺曳を描出することは至難であるが、それこそがシナリオに課せられた当然の責務なのであり、そうして自分の能力では手に負えなかったのである。

 脱稿までに五十日かかりました。まだかまだかと撮影所からは矢の催促だし、そのうちの十二日間は病臥して炎熱の日々を呻吟し、執筆どころではなかったのですが、遂に力及ばず、安易な、常套的な方式論に従って糊塗する始末となった。

 「脚色者は斬ってやったが、こんな殺され方では死に切れないねェ」

 典膳の亡霊曰く−である。 ( 伊藤大輔、「時代映画」昭和34年10月号より )

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