文学周遊143  五味五味康祐 「薄桜記」                東京・谷中

 

 現在の台東区谷中に重なる旧・谷中三崎町はサンセキと読む。駒込、田端、谷中の三つの崎つまり高台が見えるのでこう名付いたとされる。

 「鎌倉時代からある、谷中で一番古い地名だって聞きます」。谷中三崎町会長で、谷中地区十四町の連合会会長、野地幸三さんの話だ。

 「薄桜記」は、赤穂義士随一の剣の使い手、堀部安兵衛に実は隻腕の剣客丹下典膳という宿命の敵がいて、討ち入り前夜、互いに苦衷を抱きながら果し合いをした、とする“忠臣蔵外伝”である。

 五味は、作中に「『忠臣蔵』を超える大衆の文芸は将来もあらわれることはないだろう」と記しながら、「忠臣蔵」を超える大衆小説の創設に挑んだようだ。

 その試みが成功するには、丹下典膳の物語に読者が真実味を感じなければならない。主人公の動きを三人称で叙述する普通の小説の文体と、作者の考えや解釈を一人称で記す史伝小説風の文体を混在させたのは、リアリティーをだすための工夫に違いない。

 典膳が身を寄せた寺と最後の決闘の場所を、谷中に現存する寺社に設定したのも、話を本当らしくするのが狙いだったと推測できる。

 作品発表時にはまだ町名が生きのびていた三崎町も作中に現れる。五重塔の天王子(作中の時代には感応寺だったはずだが)も出てくる。興を覚えた「薄桜記」の読者が谷中に来れば、江戸時代を想像させる寺社が密集し赤穂義士が出入りした寺まであって、典膳が山門からふっと姿を現す気までするのである。

 いま谷中は「名所があるわけでもないのに、町並みや路地をありがたがって」(野地さん)観光客が平日もたくさん歩き回る。そういう人が増えているのに、野地さんが残念に思うのは1644年から谷中の象徴だった五重塔がないことだ。

 1791年に建った二代目の塔が放火で焼け落ちたのは1957年。以来、再建を望む声は何度か上がっては消えたが、焼失から半世紀を機に昨年来、野地さんら地元の人々は今度こそと運動を起こし、署名を集めたり台東区に募金の受け皿づくりを働き掛けたりしている。

 赤穂義士そして五味によれば丹下典膳も振り仰いだ五重塔が、再び谷中の空にそびえる日を楽しみ待つのは、地元の人々だけではあるまい。(特別編集委員 安岡崇志)

五味康祐/ごみ やすすけ(1921-1980)

 大阪・難波の生まれ。早稲田大学英文科中退。様々な職業を転々とした後、日本浪漫派の主柱・保田与重郎に師事し、剣戟ものの「喪神」で芥川賞を得た経歴からうかがえるとおり、得意の時代小説、剣豪小説は文章に詩情と格調があった。

 評論家の秋山駿氏が「全体に空気のように『あはれ』が漂っている」と評した「薄桜記」は58年から産経新聞に連載した。作家五味のもう一つの特質である奇想が遺憾なく発揮され、丹下典膳が実在し、丹下左膳はそれをモデルに後世創作された人物だった、とさえ思えてくる。

 筋立てをかなり変え、市川雷蔵が典膳を、勝新太郎が堀部安兵衛を演じた映画『薄桜記』は森一生監督の代表作の一つとされる。(日本経済新聞08年12月14日より)