眠狂四郎多情剣

1966年3月12日(土)公開/1時間24分大映京都/カラーシネマスコープ

併映:「悪名桜」(田中徳三勝新太郎・市原悦子)

企画 辻久一
監督 井上昭
原作 柴田錬三郎
脚本 星川清司
撮影 竹村康和
美術 上里忠男
照明 古谷賢次
録音 海原幸夫
音楽 伊福部昭
助監督 国原俊明
スチール 西地正満
出演 水谷良重(おひさ)、中谷一郎(下曽部典馬)、五味竜太郎(赤松勘兵衛)、毛利郁子(菊姫)、香山恵子(お洒落狂女)、田村寿子(はる)、戸田皓久(檜喜平太)、水原浩一(岡っ引平八)、寺島雄作(居酒屋甚助)、木村玄(地廻り)、橘公子(中藹)、若杉曜子(娼家の女将)
惹句 斬れども、斬れども、果てしなし狂四郎の行くところ邪剣の呪いと裸身の罠』『罠と知りつゝ女体を抱き、背後に刺客の集団を斬る冴えに冴えたり円月殺法』『妖しく冴える円月剣に誘われて刺客は血にぬれ女体はあえぐ!』

■ 解 説 ■

 第四作『女妖剣』の菊姫が再登場。前作では、美女をなぶりものにするサディスティックな悪女だったが、今回は復讐鬼として、狂四郎の前に現われる。他の作品のように、ある抗争劇に狂四郎が巻き込まれるのではなく、彼自身が敵方のターゲットとなっているのがミソ。そのため、はる以外の登場人物が、すべて悪役という異色の設定になっている。こういう配役の中で、敵か味方か中盤過ぎまで読めないのが、水谷扮するおひさと、自称・仇討ち捜しの浪人、下曾我部典馬(中谷一郎)。おひさは、いつものように、狂四郎の魅力にひかれていくという役どころ。これに対して、典馬は食わせ者で、なかなか正体を明かさない。この二人がいるおかげで、単純な狂四郎対すべて敵という構図が、ある程度は避けられ、味のある展開が楽しめる。

 前半の見どころは、妻を狂四郎に殺されたと誤解した、赤松勘兵衛(五味龍太郎好演!)と、狂四郎の対決。最初に勘兵衛と道場で会った時、狂四郎は円月殺法の解説をしている。“殺法と名づけているが、おのれが殺人鬼ではない。斬らねば、斬られるから斬るまでのこと。相手が斬りつけなければいつまでも待っている”これが、狂四郎の剣法の基本。絶対に自分から仕掛けることはない。つまりは、勘兵衛の妻を自ら殺すことはないのである。この後ある、勘兵衛との一騎討ちでは、屋敷の塀ギリギリのポジションに立って円月殺法に入るのだが、この塀の圧迫感が、戦いの緊張感と結びつき、なかなかの見せ場となっている。

 “狂四郎”シリーズの監督は、田中徳三二本、三隅研次三本、池広一夫三本、安田公義三本で、残る一本が、この映画の井上昭。菊姫の回想シーンでは『女妖剣』と同じ場面を、違うアプローチでリメイクし、独特の映像表現を見せた。全体的なテンポも、他の監督とは違った小気味よさがある。できれば、他にも何本か撮ってほしかった。( 歴史読本スペシャルRAIZO『眠狂四郎』の世界より )

■ 作品解説 ■

 大御所と呼ばれた徳川家斉の息女、菊姫の醜悪な顔をあばき出したことから、眠狂四郎は、菊姫の手の者によって命を狙われる。いづれもが彼を倒すことによって出世を策する者ばかりだ。甲賀忍び組の波状攻撃、お洒落狂女を粧おう女忍者も彼の命を狙う。罪もない女たちが狂四郎の名によって斬殺されるに及んで、狂四郎は敢然とこの挑戦を受けて立つ痛快颯爽の黄金時代劇。

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 水谷良重が五年ぶりで、大映京都に出演している。作品は、井上昭監督、市川雷蔵主演の『眠狂四郎 多情剣』。

 水谷八重子の娘で、新派の舞台に立ったとはいうものの、ジャズ歌手としてデビューし、ドライ娘の名をほしいままにした往年の彼女を思うと、とても映画の時代劇女優の適材とは思えなかった。

 その良重が、スクリーンでも母の名をはずかしめぬ有望株との評をとったのは、東映時代劇『花の吉原百人斬り』(35年度作品)だったのだから、おどろく。こんどの映画では女性にかけてはベテランの狂四郎を、逆に誘惑しようという、むずかしい役。

 「この役にほしいのは、おとなの色気。それに時代劇をよほど知っている女優さんでないと、となると、どうしても良重さんがほしかった」と井上監督はいう。かってのドライ娘が今では時代劇になくてはならぬ存在となったわけ。

 “狂四郎シリーズ”もこれで七本目。シリーズの見せ場は雷蔵の円月殺法と、彼が相手女優とかもしだすお色気。

 「この作品では、良重さんとの場面がたった一つのお色気だけに、彼女の魅力に期待するところが大きいのですヨ」と、雷蔵も良重起用にハッスルしている。

 「久しぶりに雷蔵さんとの共演で、おたがいにおとなになったのですから、二人の芝居はムードたっぷりのぬれ場にしてみたいワ。役柄としては、お金で買われて狂四郎を誘惑するうちに、だんだん彼が好きになるという、よくある役どころ。それだけに魅力たっぷりで新鮮味を出さないと」と、ムード演技への狙いを語る良重である。(サンスポ 02/23/66)

 

■ 物 語 ■

 すべては大御所家斉の娘・菊姫の憎悪より始まった。さきに狂四郎によって、醜い顔貌をあばき出された菊姫は狂四郎を抹殺すべく、挑戦してきたのである。その第一・差出人、菊という署名の書状で、岡場所の娼家に招かれた狂四郎は黒覆面の忍者群に襲われたのだった。いうまでもなく菊姫がさし使わした甲賀忍組である。からくもかわした狂四郎は二人の人間に知り合った。一人は仇を追っている浪人と名乗る下曾我典馬。もう一人は、この岡場所で売春を強要され、折檻されていた“はる”という娘だった。はるは十六才。清純で汚れを知らぬ少女である。狂四郎ははるを助け、三の輪浄閑寺の住居へ連れてきた。はるは何故か侍と名のつくものすべてを憎んでいたが、狂四郎の身辺にはかってないなごやかで、おだやかな空気がただよった。

 下谷の町道場で剣術を指南する赤松勘兵衛の妻志乃が、全裸で殺害されるという事件がおこった。その死体のそばには「眠狂四郎、之を犯す」の文字が残されていた。狂四郎の身辺はにわかに騒然となった。狂四郎は、身の証しを立てるために、赤松道場へ赴いた。赤松は、妻の仇と白刃を以って狂四郎を迎えた。若いが相当の使い手と狂四郎はみた。果たして赤松には円月殺法が通じなかった。両者は再度の立ち合いを期して別れた。

 狂四郎の味方に岡っ引きの平八という男がいた。その平八がさぐって来たところによると、志乃は、水茶屋につとめていた女であり、性来浮気癖があり男出入り絶えなかったらしい。水茶屋の朋輩のおひさが話したのである。赤松は、浄閑寺に現われ、再び決斗を挑んだ。狂四郎の説得は聞かず斬ってかかるのである。止むをえず抜き放った狂四郎の白刃一閃して、赤松は息絶えた。赤松は菊姫に買収され、まず自ら志乃を殺害し、さらに狂四郎を討って、莫大な報酬にありつこうとして、果たさなかったのである。

 第三の危機は、狂四郎がはるを近くの居酒屋の主人に預けに行った帰途、奇怪な狂女に出逢ったことにより始まる。みねという豪商の娘であるが、その背に「狂四郎、之を犯す」としたためた短冊をつけている。狂四郎はすてておけず、上総屋へ伴った。狂四郎はみねを上総屋の座敷牢に入れた時、突如、数名の刺客が狂四郎を襲った。また狂女みねも、狂四郎の目をねらって含み針をしかけた。寸前それを防いだ狂四郎は、みねが甲賀組の女忍者であることを見破っていた。もちろん上総屋も、菊姫と通じていた。狂四郎はすべてを倒して立ち去った。その直後居酒屋「いさみ」からはるの姿が消えた。勿論、はるの失跡は、菊姫の意をうけた甲賀忍組の仕事である。狂四郎はあらゆる手を尽してはるの行方をさがしたが発見できず、敵の仕掛けを待つより他なかった。

 水茶屋おんなおひさが、狂四郎に露骨な色仕掛けで近づいて来た。狂四郎は、おひさが甲賀忍組の手先である事を見破っていたが、わざとその誘いに応じてその住居に出向いた。結果は狂四郎を倒せずに終ったのはいうまでもない。甲賀忍組は最後の手段として、武蔵野の一角、なにがし屋敷というところに、はるがいることを告げ、はるを救いたくば、いつでも相手をしようと告げ、真正面から狂四郎に挑戦してきた。狂四郎はその挑戦を受けた。行手には何が待っているかわからない。が、狂四郎にとっては菊姫の挑戦を受けないわけにはいかなかった・・・( 公開当時のPress Sheetより)

 

 

                          眠狂四郎多情剣                 深沢哲也

 このシリーズの第四作「女妖剣」に登場した将軍の娘菊姫が、再登場する。彼女は、自分の顔がみにくいので世の美貌の人間をにくみ、男をさんざんもてあそんだあげく殺してしまう−という残虐な女。いわば、吉田御殿の千姫からヒントを得たような女人像だが、七作目になって突然彼女がまた現われるのは、忘れていたお化けに出会ったような気分で、いかにも話のネタに行き詰ったという印象を受ける。

 こんどの菊姫も、第四作のときと同様、自分に恥をかかせた狂四郎のいのちをしつこくつけねらい、忍者を使ってしばしば襲撃させる。このチャンバラ場面が見せ場で、狂四郎がバッタバッタと忍者を斬り倒したり、あるいは一対一の決闘では刀がゆっくり円を描いて相手の闘魂をうばうというおなじみ円月殺法を見せたりする。そうじて、演出はかなりこっており、構図などに苦心のほどをうかがわせるが、それがさほどの効果をあげていないのは、作劇法がいっこうに変りばえしないからだと思う。

 敵が仕掛けた罠、それを承知してそのなかへとびこむ狂四郎。そういう手は、もうさんざん使い尽されているが、なによりおもしろ味がないのは、狂四郎の危機突破方法がいつも同じようで、少しも工夫のあとが感じられないことである。敵のオトリの女を抱きながら天井から床に刀をグサリと突き立てる。すると天井から血がタラタラ・・・という“手”だ。こういうのを、二度も三度も見せられたら、スリルもサスペンスも感じなくなるのは当然だろう。

 忍者の首領が、ふだんは好人物のような顔をして狂四郎に近づき親しくなる−という仕組みもありふれている。これも、これまでに何べんとなくぼくらがお目にかかった趣向であり、「新鞍馬天狗・五條坂の決闘」でも同じような設定をを使っていた。だから、いまさら−という印象が強いのはやむをえまい。シリーズも七作ともなれば、タネ切れになってくるだろうが、それだけにもうひとひねりしないとマンネリ化を防ぐのはむずかしいと思う。

 いっそ、狂四郎が敗北するという趣向でもとり入れたらどうだろうか。たまには、そんな異色味があってもよさそうな気がする。柴田錬三郎氏の原作には、狂四郎の敗北を扱った好短編があるのだが・・・。

興行価値: このシリーズもすでに七作目。ストーリーのマンネリ化と共に、売りものの“狂四郎”の個性も影が薄くなってきた。70%台。(キネマ旬報より)

歴史読本1994年11月特別増刊号[スペシャル48]RAIZO 『眠狂四郎』の世界に詳しい。また、シリーズ映画「眠狂四郎シリーズ」参照。

 

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