母に報いる雷蔵の決意
雷蔵は、歌舞伎の世界で、その実力ほどには恵まれなかった。かって寿海がしたように、配役のことで、大谷竹次郎松竹会長とケンカをして、映画の世界にとびだしていった。
・・・そのとき、「あの子はシンのある子だから、きっとモノになる。好きなようにさせておいてください」と、ほうぼうに了解を求めて歩いたのは、らく夫人だった。
映画に入って間もなく、そっと紋服をつくってとどけたり、雷蔵の税金を黙っておさめておいたり「それは、親身の母親でもおよばぬ心のつかいようでした。夫だけではなく、義理の子まで一人前の役者にしたてあげたのです。妻としてだけではなく、母としても、りっぱでした」(菱田氏)
・・・それだけに、いっそう、一日も早く、雷蔵が結婚することを、初孫の顔をみることを、たのしみにしていたにちがいない。
「母はボクの結婚について、ただ、甲斐性のある人をもらいなさい。役者というものをよく理解した人をえらぶのだよ。と、口ぐせのようにいってました。 ・・・母の死を、いちばん悲しんでいるのは、むろん父です。母手料理以外は、食べなかったし、下着も母の手で洗たくしたものでなければ着なかった。家の中のどこに何があるか、女中の給金がいくらか、何も父は知らない。家庭というものが、すべて母を軸にしてまわっていたのです。父は舞台のことだけを考えていればよかった。母は理想の妻でした。ボクの母に対する供養は、母が父にしたように、家をきりもりしていける妻をボクがえらび、父と三人で暮らすことだと思います」

|
一家団欒 |
|
昭和30年5月27日大阪歌舞伎座楽屋にて -関西歌舞伎俳優協会公演の日- |