雷蔵放談
寄らば切るぞ


五、六月は女の季節=(24)=

きれいだね、湯あがり姿

 五月、六月は、女のひとが一番きれいにみえる季節だね、とくにこのごろの“灯ともしごろ”・・・夕方ね、湯あがりに、ほんのりと化粧している女の美しさは、天下一品だなァ。しっとりとうるおったハダ、はえぎわには、おくれ毛が一スジ二スジ。顔は心もち上気して、ポッと紅がさしている。このこぼれるようなお色気、男をひきつけずにはおかない魅力は無類だ。

 ぼかァね、この季節の女のひとをみると、すぐ浮世絵や、清方、深水などの美人画を思いだすんだ。春信の描いた湯上りの女、夕涼み、祭りの女・・・なんかをね。それに歌麿の「笠森お仙」や「丁子屋お喜多」の大首など。島田や銀杏がえしに結った女たちの美しさが目先にちらつくんだ。ウソじゃァない。ほのぼのと、ほんわかと清純なかおりがただようエリ足の美しさ・・・これなんか現実に、僕の目の前にあるような気がするんだよ。そしてだねェ、みんなその女性が“夏の女”みたいに感じられるんだ。こいつは不思議だよ。

 祭と女・・・こんな題名の絵をみると「あッ、浅草の三社祭だな」とか「ああ、祇園祭だな」って思っちゃう。ほんとうに奇妙だと、われながら思うねェ。女のひとたちが着ている、涼しそうな明石の単衣なんかに、うっすらと蚊やりのにおいがするしねェ、それに着物のスソからこぼれる白い素足に、夏の風がたわむれている・・・といったあんばいなんだ。

 こういうと、なにかを思いだすって?うん、そうなんだ、清方の「築地明石町」あの絵だ。ぼかァ、それを考えていたんだよ。なんにしても、たのしいなァ、ぼかァ、こんなひとといっしょに、きれいに打水した庭で線香花火をともしたい。頭の上では風鈴の軽やかな音、軒しのぶの葉に風のささやき。まったくいい気持だねェ、僕がこんな話をしたら、ちょうどいあわせた金田一敦子さんに笑われちゃった「雷蔵さんて、案外中年趣味ねェ」って・・・。でもさ、ぼかァ、五月、六月の、夏の女が好きさ、たとえそれがベル・エポックの思いでというか、夢というか・・・ま、現実にはいない女性であってもね。

   

「築地明石町」と「笠森お仙」

 「軒しのぶ」(ウラボシ科の常緑多年生のシダ)

みわ註:清方の「築地明石町」は良く知られていますが、浮世絵の「笠森お仙」と言えば、歌麿の大首絵よりは↑の鈴木春信が一般に流布していると思うのですが・・・。また、「軒しのぶ」ではなく、「つりしのぶ」のほうがピンときたのですが、検索してみると「軒しのぶ」というシダがあるのですね。「軒しのぶ」が出てくるあたり、金田一さんの言う「中年趣味」というのは頷けます。(歌麿の「丁子屋お喜多」は検索してみましたが、みつかりませんでした。ご存知であれば、ご一報ください)