雷蔵と狂四郎
(週刊新潮より)
雷蔵と初めて会ったのは“眠狂四郎”をあいつが演るときに挨拶にきた時だなあ。ラッパさん(永田雅一氏)が僕を口説いてね、僕は(映画化)をOKしなかった。鶴田(浩二)が失敗して、雷蔵にも合わないと思ったんだ。甘さだけが鶴田の場合で出たけど、狂四郎の冷たい反面が出ずに、ノッペリしていた。(狂四郎)はふつうの浪人物であってはいけない。どこかにインテリジェンス、ま、キザにいえば、ダンディズムをみせてくれないといけない。「今宵、そなたを抱くことは明日を約束したことにはならん」このキザなセリフが活きないと、狂四郎にならない。
素顔の雷蔵はというと、区役所の小役人ふうで、クソ真面目な感じの男。それでもあいつは「是非狂四郎を演らしてくれ」といって後にひかない。僕はね、「これはむずかしい役だ、こけるとキミも損するし、俺の方もおもしろくないぞ」と脅かしてやった。で、その場で円月殺法をやってみろ、といったら、彼はぐるりと手を回すだけなんだ。「トンボとりじゃないか」と僕は一喝してね。あいつははっきりとぼくの目を見据えて、「勉強してやります。自分の持ち役としてこれに賭けます」ま、こんな意味のことをいって、情熱のあるところをみせてくれた。
数日後、あいつはまた僕の所へきて、円月殺法を、単なる回転ではなしに、腰のところでいったん、刀を手のひらで返した。映画で刀を返したのは雷蔵の工夫ですよ、刀が散っていくさまを、だな。僕の原作の映画「斬る」の雷蔵を思い出して、あいつは芸があるから、狂四郎を演っていけるんじゃないかな、僕はそう思い直した。
第一作は、ダンディズムが出なかった、健康的でもあった。毒気がなく、優等生の狂四郎だった。映像に過去をしょっている翳りがないと、僕の狂四郎は出てこない。
その後、何作目かは忘れたが、セットへ行っても、僕には口もきかないで、役になり切っていた。撮影後、彼を食事に誘ったら、「明日の朝ロケがあって、それは心理的な場面でありますから」断るんだなあ。狂四郎のほうが大切だ、いう雰囲気でね。付き合わなかったなあ。そこへいくと、松方弘樹とは、夜中の三時、四時まで飲み歩いてね。
雷蔵は酒もタバコもやらず、エピソードがないんだ、これが。何回か会ってるけど、私服での印象はない。ふだんは、それでもお喋りだった。それと、役者というのはあまり本を読まないが、彼は原作を読んでた。僕の作品だけでなく、他の作家のも。話していてそれがわかる。文学青年だったね。
試写室で一緒になったとき、あいつは作品が良かったか、悪かったか、とも聞かないでね。「あのシーンはふつうの浪人物だぞ」と、僕は悪口だけいってやった。おべっかを一切つかわない男で、内向的な感じを受けた。というのは、雷蔵は神経質で、いい意味でデリケートなんだが、お喋りでも努力していたふうなんだ。スタッフや共演者を笑わせたりしても、あのひょうきんさは作ったものだろうな。あいつの“実際”は暗かったようにも思う。
雷蔵の生い立ちが他人に口外できないようなものじゃないか、寿海とはうまくいかなかったんじゃないか、あるいは本当の寿海の子供だったかも知れない。なんらかの出生の秘密があったような気もする。この点で、“雷蔵の狂四郎”ができたんじゃないか、自分とどこかでダブらせて演じたんじゃないか。今はそう思う。
何本か狂四郎を作っていくうち、あいつは自身が作りあげた狂四郎が、一人歩きし始めた。セリフ一つにしても、女とからむシーンでも、雷蔵の狂四郎に完全になっていた。とくに− 一遍入院して、その後二本(「眠狂四郎・肌蜘蛛」「同・悪女狩り」)撮ったけど、死神と無意識に闘っている、それが映像に出ているんだな。雷蔵の死神がスクリーンにボーと出て、鬼気迫るものがあった。
晩年は歩いていると病魔のため猫背になるし、チャンバラは遠く(ロング)は吹き替えをやったほど。それでも、現実にアップになると、一種異様、死に直面した凄味があってね。だから、最後の方の狂四郎は、雷蔵最高のはまり役だったと思う。
雷蔵の死?うん、雷蔵自身から直接電話をもらってね。「突然、先生にだけ申し上げますけど・・・・余り命が先行きないんです。お見舞だけはやめてください」。
役者だから痩せ細った顔(つら)をみせたくなかったんだろうな。当人は“ガン”とはいわなかったけど、死ぬまで狂四郎は演らしてください、と言ってたな。最後まで役者魂みたいなところがあった。
“健康な”やつが狂四郎を演ってもダメなんだ。それと、あいつは根からマジメだから、逆に(狂四郎)に合っていたんだろう。狂四郎は、女には惚れないし、どこか一部分醒めていないといけない。
(雷蔵の死に)死ぬやつが死んだという感じで、別に驚きもしなかった。あいつは燃焼して、精一杯の人生をおわったという感じだ。
狂四郎を演ると、何故か役者は狂四郎に取憑かれる、死神に取憑かれた雷蔵の狂四郎に類まれな存在感があっても不思議ではない。
この世の未練といえば、子供たちに対する未練じゃないか。京都から東京に居を移したのも、子供をちゃんとした学校に入れたいと思ったんだろう。品行方正な分、人間として面白味に欠けたが、役者としてはいいヤツだった。
狂四郎のはまり役は、これからは出ないんじゃないか。いずれにしても、不滅のスターだと思う。(談)
(「ミノルフォンレコード・日本映画名優シリーズ市川雷蔵魅力集大成」より)