スターらしくない。近ごろ、やや服装は派手になったが、洋服の下駄履きで歩いたりする。言うべきことを一応は吐露するが、おしゃべり上手の交際家とはいえない。京都の映画人の間では、こういう定評が立っている。「行く先によって連れを選ばなければならないが、気を使うところへは大川橋蔵、気のおけないところへは中村錦之助、退屈するところへは市川雷蔵とは、こりゃどうじゃ」

 注にいわく━橋蔵は気がまわり如才なく、古くもなし新しくもなし。身なりも目立たずして野暮に落ちず、伝法に流れざるを第一等とす。錦之助は飾りもせず、気取りもせず。奔馬の如く白面童子の如し。興至れば、面白きこと随一なり。さて雷蔵は、浮き足立たず、騒ぎ立もせず、粋がらずにケレン味がなく 身を持てあませば、ひとり写真機とたわむる━なるほどネ。うまいことをいうものだ。

 雷蔵は大阪カブキ市川九団次の息子、十六歳で父の旧名莚蔵をついで初舞台、二十一歳の時市川寿海の養子となった。雷蔵の芸名は銀幕の二枚目スターには似つかわしからず、後援会を「かみなり会」と名乗るに至っては、女性ファンも色めいた出バナをくじかれよう。しかし、この芸名は市川家では由緒があり、初代は四世団十郎とならんだ立役、荒事の名人で、現雷蔵は七世に当る。

 九団次も寿海も、扇雀を生んだ鴈治郎、錦之助の父の時蔵とはちがって地味で実直な人だ。俳優の中では決して色とにおいがあるほうではなく、カーッと照りつけるものもない。雷蔵に華やかさと熱気に乏しいのも、この生れと育ちが影響しているかもしれない。これまでの映画では、故溝口健二監督による『新平家物語』の清盛が最高だが、そして武家の子らしい折り目と、人間的悩みはかなりよく出していたが、革命児らしい猛々しさと奔放さは物足りなかった。どうも線をほそくした黒川弥太郎という気がする。

 舞台では美しかった。また武智カブキのお仕込みもあり、「妹背山」の求女などはいただけたものである。あるいは演技の実直さと行儀のよさでは、若手の時代劇スターでは優れているほうかもしれない。だから誠実一途のわき役にまわると、チカッと光る。『月形半平太』の早瀬など然らん。

 それが甘い役や、スカリとした役、または観客をゾクゾクさせる主役になると、芝居ごころの「アホなこと」ができないので、一編の起伏を支えるツヤとメリハリが出てこない。現代劇にも出てみたいかという質問に対し「二枚目でなく、いわゆるメロドラマの主人公でなく・・・」と本人も考えているが、それは時代劇にも通じる雷蔵ひそかな白書ではあるまいか。大体において長谷川一夫映画の助演で成功しているのも、さし込む朝日の激しさに、淡く真直ぐなキラメキを添える若竹の照り返しが、彼の俳優本質であることっを物語っているとみたい。

 カメラをパチパチやるだけで、スターらしい当て込みのない彼に「もっと、くだけなはれ」というよりは、今の本質を大事にして「もっと、突込みなはれ」というほうが当っているようだ。(積春堂)