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忠直卿への執念
市川: 「大菩薩峠」のあと入る「忠直卿行状記」は僕が映画入りしたときからの、執念みたいなもんですよ。
八尋: 橋蔵君も、錦之助君も、これをやりたかったらしいね。しかし、あのころは、僕も自信がなかったしね。橋蔵君などは、第一回作品でこれをやりたいと云っていたんだ。だけど、僕はこれはお客が来ないから、よしなさいと、云うてたんだけど。しかし、今はこういう野心作でも、商売になるという気運になって来たわけだ。それと、菊地寛(「忠直卿行状記」原作者で、前大映社長)の十回忌ということが結びついて実現の運びとなったわけだ。
市川: この映画の一つのテーマは真実を求めるということにあるわけですね。しかし、忠直の悲劇は、どこにでもある悲劇ですね。
八尋: そう、忠直らしい気持は誰でももっているよ。
市川: そうですね。支配者の悲劇でもあるし、秀才の悲劇でもあるし、人を信ずることの出来なくなった男の悲劇ということでもありますしね。
八尋: で、友情が欲しいんだけど、友情がないと、愛情が欲しいけど、愛情がないと、そういう気持ちはよくわかるね。
市川: この世の中に自分以外は誰も信じられないということになれば、本当にこわいですね。そして、この人間はと信じていたものに裏切られたと思ったときのショックというものですね。今度の「忠直卿−」のテーマというのは。これだけ、そういった心理を鋭く描いたというの、現代劇でもないですね。時代劇で、やらんならんようなことですよ。心理劇みたいなものですからね。
八尋: 現代劇でも、これほど心理を追求して行ったの、割と少いね。時代劇の場合、あまり心理を追求して行くと、画面が動かなくてね。これは、次から次と事件があるしね。相当ショッキングなものがあるよ。僕が残念なのは、これに本郷君と、玉緒ちゃん、ちょうどいい役があって、出てもらおうと思ったら「大菩薩−」と同じ顔ぶれになるっていうので、あかなんだけど、残念だったな。
雷蔵の人生哲学
八尋: しかし、雷ちゃんは徳な人だね。こんな徳な人みたことないね。
市川: そうですかね。僕は神さまをそう信仰するわけじゃないんだけど、僕は、やはり、こんなに仕事にめぐまれて、いいお友達が出来て、仕事の上でもいいメンバー、スタッフにめぐり合わしていることは、大いなる自然のなす業(わざ)だと思いますね。やはり家庭的な不幸というものの反対の面に、運が向いていると云うのは、神様の思召しだと思うよ。僕は。
八尋: こりゃ、雷蔵哲学が出たね。
市川: 僕はそう思って感謝してますよ。そしてその、自然の幸運というものを逃がしたらいかんと思うしね。こんなに恵まれているというのは本郷君でも、玉緒ちゃんでも同じことが言えると思うな。僕はよく人に、いま八尋さんに云われたように、もって生まれた人徳だとか云われますけど、その反面僕には大変不幸な面があるわけだよ。人にはわからんようなね。生まれて三月目に養子に行ったりしたりね。本当言えば大変な不幸かも解らないけど、現在の幸福から見れば、小さなものかも知れませんし、そういうのは、生まれた時の、運命というか、宿命みたいな不幸だからね。
八尋: 太閤秀吉だって生まれはわからんのだからね。
市川: 神様はね、そういう人には暖かき光をあてるんだと僕は思うな。
八尋: 雷ちゃんには、不幸があってもその影がないんだね。云いたいこと云っても、いやがる人ないだろう。結局それも人徳だね。(時代映画60年10月号より)
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