
大映を支えたバイプレヤーたち |
| ■ 大映創立80周年を記念して、今秋冬、ラピュタ阿佐ヶ谷では大映映画を支えた素晴しき脇役たちにスポットをあててご紹介します。 |
| 気品と貫録のベテラン勢、ニヒルな悪役たち、三枚目的な要素を持った貴重な存在・・・等々、スクリーンの隅から隅まで目を凝らして、その姿、妙演をご堪能ください。 |
トークイベント
■ 12/11(日)14:50『陸軍落語兵』上映後
ゲスト:三夏紳さん 聞き手:寒空はだかさん(漫談家) |
■ 特集上映“大映映画を支えたバイプレーヤーたち” トークイベントのトリを飾るのは三夏紳さん! 情景が鮮やかに浮ぶ語り口で、すっかりお話にひきこまれました・・・!最高に楽しかった55分。 |
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『陸軍落語兵』上映後、大映映画を支えたバイプレーヤー・三夏紳さんのトークがございました。1941年生まれ、広島県出身81歳。
『陸軍落語兵』(1971年/弓削太郎監督)をご覧になり、「大映末期製作の映画でよく覚えている。なつかしくて夢のよう、52年前を思い出す。大映に丸々10年所属、よくやっていたなあ……」と。『陸軍落語兵』が連続ものになると期待していたが、あえなく大映が倒産してしまう。
「与太郎戦記」シリーズの軍曹役からようやく主役に抜擢。高校2年生で演劇部に駆り出され、出た舞台が好評を得、先生方から役者に向いていると、唆されるままに上京する。
日本大学芸術学部演劇学科へ進学、1961年大学2年生で600倍の倍率を突破して、大映ニューフェイス15期生として入社。13期生に江波杏子さん、吉野妙子さん。14期生に渚まゆみ。16期生が倉石功さん。2、3期あとが『ジェットF104脱出せよ』(1968年/村山三男監督)に出演していた面々。少し期があいて、南美川洋子さん、渥美マリさん、松坂慶子さん、関根恵子さんが活躍する時代へ。俳優座も最終まで残っていたが、合格した為辞退。半年の養成期間を経てデビュー。
芸名の「三夏伸」の由来は、“三年夏が来たら、少しは伸びろ”。30年ほどでそこまで伸びず、糸のように長くやれるよう「紳」に。現在も苦楽を共にした松生秀二監督と、劇団三松座を立ち上げ精力的に活動中。気がつけば62年の俳優生活。広島にいた頃から、勝新太郎さんとは、少し似たところがあると言われていた縁。
1962年のはじめ、撮影所の俳優課長から「明日9時に撮影所へ来てくれ」と連絡が。大抜擢だ!と悦び勇んで馳せ参じると、「やってもらいたい役がある」。(ほらきた)なんでもやりましょう!三夏さんはおしゃれなリーゼントを拵えており、「切れるか?」の相談に、仕事の為ならどんな頭にでもと。実際には、大映オールスタア映画『仲良し音頭 日本一だよ』(1962年/井上芳夫監督)のポスター撮影で、「座頭市」シリーズの撮影で京都にいる勝さんの引き画の代役を頼まれる。
今、勝さんは丸坊主なので同じ丸坊主にと、撮影所の床屋でスポーツ刈りと注文も、いやいやもっと短く、床屋で一番短いつんつんてん。いよいよ、ポスター撮影の段。長谷川一夫先生を筆頭に錚々たる面子の中、一人だけ偽物が音頭を踊る。長谷川先生、中村鴈治郎さんともに「若い頃の勝ボンによう似とる」(鴈治郎さんは頭までお撫でに)。
俳優生活の第一歩は、影武者。翌日、勝さんのアップの撮影に呼ばれ、メイキャップ室で初対面。そこから、ナイトクラブ赤坂のラテンクォーターへ。水原弘さんを紹介されて、「酒はグラスで呑むものじゃない」とアイスペールにレミーマルタンをなみなみ注ぎ、回しの呑み。「今日は三夏とはじめての出逢いの日だ」と最初に口をつける。最後に三分の一も残った状態で戻ってきて、「今日は、(全部)呑んでいいんだよ」と一気コールに応え、とことん呑まされた。勝さんはあのまんまで豪快、3、4人で呑んでいても、いつの間にか数十人。
本当にいい役がきたのは、入社4、5年後の『陸軍中野学校』(1966年/増村保造監督)。子持ちの仁木多鶴子さんに惚れて養育費の捻出の為、仲間の軍刀を質へ入れるスパイ候補生。その事態が露見して自決を迫られるもできず、仲間たちに嬲り殺しにされる。加東大介さんが態度を訝しみ、睨まれる場面で発する、三夏さんの「はあ、」を増村監督が気に入らず、朝10時から夜7時まで延々とリテイク。仕舞いには、座布団を乗せた脚立を加東さんと思いやらされる。昼晩とも飯抜き。ついには頭がおかしくなり、増村監督へ「できません!わかりません!」と座り込む。すると、「何!?できない?わからない?ばれたらどうなるんだ?お前は!」と問われ、「命はないと思います」、「そうだろ、だけど惚れた女もいるわな。そんなことを全部棄てて死んで逝くんだぞ。言われた時、圧力を感じないか?」。後ろに控えていた市川雷蔵さんから「圧力を感じたらな、三夏。“はあ”と言うのをのばしてひっくり返るくらい圧されてみろ」と助け船。そして、オーバーにひっくり返ってみた。増村監督は、「例えば、そういうことなんだよ」。三夏さん自身は何が違うか分からないまま→本番→OK→19時。加東さんは衣装のまま、計算したように生放送(19時45分〜)の大河ドラマ『源義経』(1966年/NHK)へとびだしていった。
いよいよ翌日、自決の場面。セットに入る時から戦々恐々。「首を針金で繋がれて、保健所へ連れて行かれる犬をみた事あるか?今日のお前はその犬だよ」と、増村監督。セットへ行くと、キャメラマン、照明、録音みんなから「おいおい、三夏よ。今日頼むぞ。なんとかやってくれよ」と、ひどいはっぱ。しかし、オール一発OK。その晩、雷蔵さんから呑みに誘われ新宿へ。
「三夏よ、今日のお前はな。昨日で創られていたんだよ。昨日の“はあ”は何でもない。今日が欲しかったんだよ。なまじお前さん、まだ新人でいい役もらって芝居をしてやろうと狙い、この役の一番大事な場面だと、死んでいく芝居をやられたらどうしようもないんだ。シリアスが欲しい増村保造は今日を狙っていたんだよ」の金言に、渾身の「はあ━」。それ以降、増村監督は、役がなかったら作ってまで、起用してくれた。
仁木多鶴子さんとのラブシーンでは、こういう時だけわざわざ見にくる増村監督。「仁木多鶴子さん、三夏?大丈夫?股間の方は大丈夫かい?」に、仁木さん「はい、大丈夫、勃っております」こんな会話をしながら撮影していた。
普段の雷蔵さんは穏やかな人。勝さんは歩いているだけで勝新太郎。雷蔵さんは、メイクして撮影に入るとあんないい漢いい声はない。『剣』(1964年/三隅研次監督)で共演以来気に入られ、東京へ来る度に長谷川明男さん含め3人で呑んでいた。赤坂や銀座は性に合わず、三夏さんのおもしろい行きつけのお店で羽を伸したいと。
三夏さんの庭は、新宿、中野、高円寺。雷蔵さん「そっちがいい」とまずは中野へお連れする。小さなバーで、雷蔵さんから「絶対(素性を)言うなよ」と箝口令。流しが訪れ、俳優ふたり(三夏さんと長谷川さん)に気をよくして唄い散らし、「あちらの方もやはり俳優さんですか?」の質問に、「いえいえ僕は違うんです、事務方で俳優さんの係を」と粋な返しをする雷蔵さん。暫く呑んでいると、ずっと見ていたママの「横顔が市川雷蔵に似たところあるね」を受け流しつつ、呑んでいい気分になった流しが雷蔵さんへ、「こういう時は、憂さ晴らしに一曲唄いなさいよ」と肩をバンバン叩くように。三夏さんは、慌ててママに叩くのをやめるよう、「市川雷蔵さんなんだよ」と真実を告げると腰を抜かし、流しも手が震えてギターが弾けなくなっちゃったんだ。
京都の想い出は、ゲイバーへ行き、“雷子”、“伸子”、“明子”に替り、女言葉で愉しんだ。天下の市川雷蔵に、「雷子」とは呼べないと誓うも、酔いがまわると、「雷子ちゃん、雷子ちゃん」と。
雷蔵さんは、茶目っ気があり洒落がわかるお方。どれほどの時代劇の役者を見たか知れないが、市川雷蔵の雰囲気を出せる俳優さんには出逢ったことはないと、いまだに思う。この先も現れないだろう。男が見ても惚れる色気に、いい顔いい声、無駄な芝居をしない。我々とは違う。可愛がってくれた先輩三角八郎さんとか、脇役出は芝居をやりたがる。早川雄三さん、夏木章さん、仲村隆さん、いい先輩に恵まれた。
女優さんは、(『陸軍落語兵』にも女給役で出演してる)笠原玲子が達者だった。「女賭博師」シリーズでは、江波杏子さんと共演。個人的に親しく、お酒好きでよく盃を交した。増村保造監督とは因縁があり、厳しく鍛えられたことから「私、絶対にあなたの作品にでません」と啖呵を切って以来、一生涯出演しなかった。
『からっ風野郎』(1960年/増村保造監督)では、三島由紀夫さんに「いくら作家で大先生だからって、役者で芝居をしているんだから、そんな猿芝居じゃ困る」。これに怒った三島さん大映社長に直談判。
『陸軍中野学校』へ抜擢されるきっかけでもある若尾文子さんとは、ここでは言えない話が・・・。増村保造監督に認められたく、何でもやると。『清作の妻』(1965年/増村保造監督)に田村高廣を送り出す農民役で・・の続き、かつ詳しいお話は、15日発売予定の「週刊新潮」をご参照ください。
最後に観客として愉しまれた南美川洋子さんから花束のご贈呈を以て大切り。三夏紳さん、寒空はだかさん、誠に有り難うございました。(オグラ)
12/15/22配信の「ラピュタ日誌」より
by イシイ・オグラ・コンドウ(ラピュタスタッフ) ※スタッフがラピュタ運営の日々を綴ります。
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