命を賭けて

−市川雷蔵物語−

必死の表情

「雷蔵さんどうした?青い顔をして・・・・気分でも悪いのかね?」
「はあ、ちょっとお腹が痛うて・・・・。いえ、でも大丈夫ですから」
「額から汗が−」
「これは天然色で、こんなにセットが暑いもんですから」
「そうかね、まア、とにかくもう二カットだけであげちまおう、頑張ってくれ給え」
「ハイ」

 昨年の四月−大映京都で、源氏物語『浮舟』を撮っているとき、匂の宮に扮した雷蔵は、俄かに右下腹部に烈しい痛みを覚えた。いちはやく、衣笠貞之助監督が雷蔵の変調をみて、心配げに訊いたが、仕事熱心の雷蔵は、ジッと我慢して滞りなくその日の撮影をすませた。

 痛みはますますひどい。そこで、帰途、かねてかかりつけの医師のところに立ち寄り、診断を仰ぐと、
「急性盲腸炎ですよ、すぐに手術をしなくてはいけません・・・・」
「でも先生、どうしても今撮っている仕事をあげなくては、会社に迷惑がかかります。なんとか一時凌ぎはできぬものでしょうか」
雷蔵は必死の表情で頼み込んだ。

大きな穴

 二十九年、大映に入った雷蔵は『花の白虎隊』でデビュー、その年十二月封切の『美男剣法』で主役を演じ、大映のホープとしてこの『浮舟』までに二十九本もの映画に出、今や押しも押されもしない若手スターのトップに立っていた。大切な時期である。ここで倒れたら人気にもかかわろう。しかし、雷蔵の気持ちは、そんな打算的なものなど少しもなく、ただ、自分が倒れたなら、大きな穴があき、会社に大損害を与えるだろうという、そのこと一つしかなかった。医師もその熱にうたれ、撮影のすむまで、オールマイシンで患部をチラすことを許可してくれた。

 「雷蔵さん、大丈夫か、大丈夫かね?」
衣笠監督はじめ長谷川一夫、山本富士子などスタッフ一同のいたわりのもとについに雷蔵は頑張り通し、同年五月一日の封切に『浮舟』はまにあった。彼は直ちに入院して、盲腸を手術した。もう二、三日遅れたら危いところだった。命を賭けた撮影だった。

(別冊近代映画・臨時増刊「忠臣蔵特集号」昭和33年4月より)