その場面は茂兵衛がおさんを背負って、川をわたるところで、撮影は嵐山のロケーションで行われたが、最初わたしたち助監督が、それぞれ長谷川さんなり香川さんなりのスタンドインをあいつとめて、背負い背負われてカメラの前に立ったが、どのように頭をひねってみても、形にならない。まったくぶざまでどうにもならなかったのである。
もちろん、これでは溝口監督の気にいる道理もない。といって溝口さん自身にも、これといって適当な方法を見出せないようで、われわれもちょっととほうに暮れた感じだった。
そのとき、この情景をながめていた長谷川さんが、香川さんを招いて
「こんなふうに背負ったらどうです」と、彼女を自分の背中へななめにし、彼女の両足を一方にそろえて背負ったのである。それはわたしたちの思いもつかなかった美しい形だった。いかにも都の大経師のご寮人さんという品を失わない、しかも色気のある背負い方だった。
もちろんこれは歌舞伎につちかわれた伝統的な型の美しさを基盤として、それを映画の中へみごとに生かした長谷川さんの創意であるが、さすがの溝口さんもこれにはいたく感心したようである。
ともすれば、型芝居と軽蔑しがちな、われわれ若い者にとって、この伝統に創意を加えた長谷川さんの演出は、一つの大きな示唆となったことはいうまでもない。
ところが数年後、増村保造監督の『好色一代男』の一場面で、同じようなかけ落ちに男が女を背負うところに直面した。
それは市川雷蔵ふんするところの旅の世之介が、人の二号(中村玉緒)と恋におちいり、彼女を背負って逃げて行くくだりだったが、ここで増村さんは雷蔵さんに
「そうだ、ちょうどサルを背負うようにして、玉緒ちゃんを背負って下さい」と注文をつけた。
もちろん、これは恋人同士の感情を表現する時代劇の型にあるものではなかったが、いざ撮影になり、形もそこまでリアルにくずされているのを見ると、かえってその中にむき出しにされたなまなましい愛情があふれているような感じを受け、わたしは今さらながら増村さんの演出ぶりに感服した。(宮嶋八蔵)

|