市川雷蔵と若尾文子

 秘戯画のことで、あるとき溝口監督とわたしとの間に、少しモメたことがあった。それは男の方の髷(まげ)の刷毛先(はけさき)が、浮いた形でえがかれていたのだが、果たしてその時代にそんな形の髷が流行したのか、どうかというのが、問題になったのである。

 結局、これは情事の後だからはげしい運動のために上へ曲がってしまった感じを、リアルにえがいたのだろうということで両者の意見が落ちついたのだが、この例でもわかるように、時代劇では激情的なラブシーンやベッドシーンの後を暗示するには、男性も女性もある程度、髷を乱した方が実感が出る。

 特に女性の場合、あの島田髷の元結などは大変に切れやすいものなのだから、あまりかつらの形のととのったのを避けてその元結を切ったり、ゆるめたりして、髪形をくずすと、異様な色気が発散されることがわかった。

 また、やたらに肉体を露出するよりも、場合によっては、それを意識的に隠したポーズの方が、かえって色気が出ることも時代劇を長くやっている間に、理解されてきた。

 すなわち、見せたくない部分、見られて恥かしいところなどを、わざと隠していることを強調するわけで、たとえば、女性が着ものをマタの間にはさみ込んでいるようなポーズは、開放的なビキニスタイルより、ずっと色気を感じる。

 もっとも、近ごろの時代劇の女優さんたちは、半裸体を撮るとき、ほとんど例外なく乳のあたりをサラシで巻いて出てくるが、これは乳の形が不自然になって、かえってみにくい感じを受ける。撮影中に万一乳首が写ったら、そこは必ず編集のときに切ってしまうわけだから、撮影中に少々見えてもさしつかえないと思うのだが、そればかりの勇気のある人も全く少ない。

 外国では主演スター級のアルレッティなどが平気で(かどうかは知らないが)自分の裸体を惜しみなくカメラの前にさらけ出しているが、どうしたものか時代劇ではこれもほとんどがスタンドインを使っているようだ。

 また、秘戯画を参考として、ラブシーンを撮ってわかったことだが、スチルのわくのなかにはいっているだけの部分で、いかにその形を絵の通りにしようとしても、うまく行かない。この場合は、写真のなかに写らない部分も、ある程度は原図に似たからだの位置にしないとダメなのである。

 こうした場合に限らず、いわゆるお色気のある場面を演出するとき、監督たる助監督たるを問わず、少しでも助平根性を起こすと、もうそのシーンはぶちこわしになってしまう。こちらの気持ちがすぐ俳優さんの方へ伝わって、照れてコチコチになってしまうし、こちらの方も、思い切った演出ができなくなってしまうからだ。

 あるとき、わたしは女中部屋にいぎたなく寝ている女優さんたちのフトンを、そのふんい気にふさわしいような形にするために、めくったりきせたり、二十数回もテストをやらされていた。ところが、たまたまセットにいた見学者の不用意な言葉を意識した瞬間、目の前にある若い女優さんたちのあらわな足や太モモが、たちまち正視できなくなって大変閉口したにがい経験を持っているのである。(宮嶋八蔵)