本誌前号で、市川雷蔵の“花嫁の最有力候補”T・K子さんの横顔を紹介した。

 だが、この人の名をイニシャルで呼ぶ必要は、もうなくなった。その直後、前々からの雷蔵のプロポーズが受諾され、二人は晴れて婚約者の間柄になったからだ。では、その人、遠田恭子さんを、改めてご紹介しよう。

牛にひかれて雷蔵詣り

 遠田恭子さん(21)は、文京区高田豊川町に、母光子さん(40)と祖母クニさん(70)の三人で住み、すぐ眼と鼻の先の日本女子大(家政学部児童科3年生)に通っている。

 ある事情で、永田雅一大映社長が、恭子さんのお父さん代りになっている。高田豊川町の家は、もとの永田邸である。だが、恭子さんが雷蔵と知り合ったのは、父代りの永田社長の紹介でもなければ、兄代りの秀雅専務の引き合わせでもない。結びの神は、木村洋子さんというハワイの二世のお嬢さんである。

 35年の10月に来日したとき、雷蔵ファンの木村さんが、大映に“顔のきく”親友の恭子さんに、京都撮影所への案内を頼んだのだ。ここで二人は雷蔵に会った。

 木村さんはむろん大感激だったが、恭子さんは“牛にひかれて雷蔵詣り”の心境で、さほどでもなかった。大学では児童科を選んで、将来は幼稚園か保育園の先生になろうという恭子さんだったから、芸能人、とくに映画スターというような派手な職業には、初めから不信感をもっていたのだ。むろん雷蔵からは“およそスターくさくない、感じのいい人”という印象は受けた。というのが正直なところだ。

 だが、雷蔵のほうはショックを受けた。「女優さんとは結婚しない」と天下に宣言し、“しとやかで上品で、しかも知的で近代的な人”という理想の女性にあこがれていた雷蔵だ。以上の条件に、さらに“すばらしくきれいで”というプラス・アルファがついた恭子さんを見逃すはずがない。

 案内の役目を終って帰京した恭子さんのあとを追うようにして、雷蔵は上京した。木村さんに頼まれた色紙を届けるというのが、いい口実になった。二人は、雷蔵の“定宿”である帝国ホテルのロビーで再会した。