本誌前号で、市川雷蔵の“花嫁の最有力候補”T・K子さんの横顔を紹介した。

 だが、この人の名をイニシャルで呼ぶ必要は、もうなくなった。その直後、前々からの雷蔵のプロポーズが受諾され、二人は晴れて婚約者の間柄になったからだ。では、その人、遠田恭子さんを、改めてご紹介しよう。

不安を押し切った愛情

 こうして二人の交際は始まった。以来、雷蔵の上京はひんぱんになった。むろん、用事は早々にすませて、目白の遠田家にかけつける。ここで、恭子さん、お母さん、おばあさんたちと過すいっときが、雷蔵にとっては何物にも代えがたかった。

 6月に、雷蔵は東京の御茶ノ水のK病院に入院した。それを聞きつたえた知人が、あわてて見舞いにいった。わざわざ上京して入院するくらいだから、よほどの重病か難病だろうと思ったのだ。

 ノックに返事があったので、恐る恐るドアを開けた見舞い客は、自分の眼を疑った。雷蔵はキチンと背広を着て靴をはいたままベッドに寝ている。ベッドの脇には、若い女性が二人立っている、どうやら笑いをかみ殺しているらしい。雷蔵はと見ると、これも見舞い客と天井を半々に見ながら、ニヤニヤしている。顔色はとびきりよくて、とうてい病人とは思えない。明らかに、3人で話しているところへ急にノックが聞こえたので、雷蔵があわててベッドへもぐりこんだのだ。見舞い客もニヤッと笑って、そのまま回れ右をした。

 二人の若い女性の一人は、むろん遠田恭子さん。もう一人は彼女の家のお手伝いさんだった。恭子さんの祖母のラクさんが、ちょっとした病気で、この病院に入院していた。恭子さんは毎日見舞いにきていた。それを聞いた雷蔵が、にわかに患者になって、ラクさんのひとつおいて隣りの病室に“入院”してきたのだ。常識と節度を重んずる雷蔵にして、一世一代の非常手段だった。

 その日、病院を脱出した二人は、恭子さんの運転するコロナで有楽町に出て、映画を見、食事をした。戸外でのデートはこれが最初にして最後だった。

 7月4日、雷蔵はふたたび上京して遠田家を訪れ、ついに恭子さんにプロポーズした。

 恭子さんもむろん、このときには雷蔵━というよりも、太田嘉男(雷蔵の本名)という青年を愛していた。だが、一方では、俳優という職業に対する不信感が、依然として強く残っていた。映画スターの奥さんという、思ってもみなかった妻の座を前にして、恭子さんは激しい不安を感じたのだ。恭子さんは、愛情と不安の間でゆれた。この動揺は数カ月間つづいた。

 ごく最近にも、恭子さんは、高校時代の親友である川合莉恵さん(新劇女優)に、それとなく相談をもちかけた。

 「芸能人の奥さんて、どうかしら」

 恭子さんは、芸能人のひとりである友人から、「だいじょうぶよ」といってもらいたかったのだろう。だが、川合さんは、自分が見聞きしている芸能人の結婚生活から考えて、お嬢さんの恭子さんにはムリだと思った。

 「やめたほうがいいんじゃない?」

 恭子さんは、がっかりしたようだった。そして、相談というより、自分にいい聞かせるように、こういった。

 「でも、人柄さえよければ、だいじょうぶよネ」

 川合さんがはかばかしい返事をしないでいると、恭子さんは同じことばで何度も念を押していた。だが、それからまもなく、雷蔵への愛情が、ついにこの不安を押し切ったわけだ。