吉川英治記念館
吉川英治記念館へ向いました。記念館は東京都青梅市の吉野梅郷(旧吉野村)の西端にあります。ここは、吉川英治が昭和19年3月、家族と共に東京赤坂
から疎開し、昭和28年8月まで生活していたところです。
英治はこの家屋敷を"草思堂"と名づけました。昭和25年から、英治畢生の大作となり、戦後の文学作品の中でも最も大きな業績となる『新・平家物語』の執筆を始めたのもこの地でした。
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「新・平家物語」が生まれた書斎
記念館に唯一ある雷蔵写真:吉川夫妻が映画の撮影を見学するスナップ写真
さてさてそろそろランチ時、御岳ドライブインで賑やかにランチです。行楽日和だけど紅葉にはちょっと早くて残念。ドライブインで気持ちよいサービスを受けて、元気一杯でいよいよ大菩薩峠に向います。
その前に、日本画壇の巨匠・川合玉堂美術館はドライブインから歩いてすぐ。ここまで来たらやっぱり芸術の秋でしょう。
秋の日差しが穏やか・・・玉堂美術館からの眺め |
白砂の美しい玉堂美術館庭園 |
巨匠、川合玉堂が昭和19年から昭和32年に亡くなるまでの10余年あまりをここ青梅市御岳で過ごしました。これを記念して皇后陛下、諸団体、地元有志、全国の玉堂ファンより寄せられた多大な寄付によって昭和36年5月に開館されました。展示作品は、15歳ごろの写生から84歳の絶筆まで幅広く展示してあります。
◆玉堂もまた、戦時中に疎開した奥多摩の自然を愛し、そのままこの地に住み着いたのですね。絵看板に惹かれて青梅に、そしてここまで来たのですが、九州出身のみわにとって奥多摩は本当に縁のないところでした。でも、雷縁のおかげで↓のような絵を目にすることが出来ました。
「仔犬」
犬好きにはこたえられない作品。みわと小林勝彦さんの二人は、この絵の前にしばし佇んでしまいました。